深夜1時の「砂の嵐」 オレが高校生の時に流行った嘘・都市伝説(田舎伝説) 偽の希望にすがる人々に告ぐ

砂の嵐

TVの停波後に放送されるドギツイ海賊番組「砂の嵐」

オレがその話を初めて聞いたのは高校1年生の時だった(1983年)。

ある日同級生達がこんな事を話しているのをオレは聞いた。

「砂の嵐見たか?」
「ああ見た見た。おまえが云う通り、あれは凄いわ」
「だろ。どぎついよな」

とニタニタしながら話しているのを、オレは横で何食わぬ顔をして聞いていた。

何? 砂の嵐? とってもエロくて、どぎつい番組だと?

同級生の話によると、その「砂の嵐」というドギツイ番組は、民放が放送終了してから30分ほど経つと現われるという。毎日放送されている、知る人ぞ知る海賊放送のようなものらしい。

そんなネタを聞いたオレは、その日の深夜が待ち遠しくて仕方がなかった。深夜1時頃にTVを見る為に居間に行く。TVを付けると、まだ最後のニューズ番組をやっていた。これが終れば、停波だ。この当時はTVは24間放送ではなかったのだ。

最後の番組が終り、TV局のコールサインが告げられる。そして現われるテストパターン。あと30分もすれば、「砂の嵐」が始まるはずだ。

いったいどんなにどぎついものなのか? 高校生の胸が高まる。早く「砂の嵐」始まらないものだろうかと、幾何学的なTV局のテストパターンをぼーっとオレは眺め続けていた。

いよいよ砂の嵐か!

砂の嵐

30分ほど経過した頃に、テストパターンが消えた。いよいよだ。砂の嵐が始まるに違いない! TVの画面は灰色に黒い粒子のノイズが飛び交っていた。「砂の嵐」はいったいどんな風に始まるのだろう? 徐々にそのノイズの向こうに、何か見えてくるのだろうか? いきなり鮮明な映像が始まるのだろうか?

そんな事を考えながら、ずーっとひたすら画面に映るノイズを見続けていた。30分経過。何も変化はない。1時間経過。時計は2時をとっくに過ぎている。もういい加減眠くて、目が明けていられない。しかも画面に映るノイズは、目にチカチカして、とても疲れる。その日は1時間ねばって諦めることにした。きっと今日の砂の嵐は休みなんだろうと。

翌日も同じように深夜を待ちわびた。やはり今日も「砂の嵐」なんて番組は放送されない。ずっとそんなノイズを見続けていると、そのノイズの向こうに何か映像が見えてくるような幻覚さえ見えてきた。

これが砂の嵐だったのか

そんな事を3日ほど続けて、オレははたと気がついた。灰色の画面のあのノイズ。黒い粒子の飛び交うあのノイズ映像こそ、「砂の嵐」だと云うことに。なるほど、確かにこれはどぎつい映像だ。嘘じゃない。その時になってオレはようやく、同級生に担がれたという事に気がついた。オレはとことんアホだ。

21世紀の砂の嵐

さて、数年前からネットでよく見かけるのがQアノン信者による、世界一斉放送と云うのががある。どういう形でそんな放送が行われるのか知らないが、「この世の真実」とやらを、世界中の放送を通じて公表されるのだそうだ。

「ついに○月○日に世界一斉放送が行われる事が決まった」なんて話が流れてくる。ついに光の側がこの世の闇を追い払うときが来たんだそうだ。

オレもその日をとっても楽しみして待っていると、その当日に、「より効果的に奴らを放逐するために、今回の放送は延期することになった」なんて話が流れてくる。今度のスケジュールは×月×日なんだってさ。そうですか、その日が来るのが楽しみですねぇ。

まあそんな事で、いつまで待っていたって、世界中にそんな放送が流れることなんてないのだ。正直言うとオレも最初ほんのちょっとだけ信じて期待してしまった。そんなことが起きたら面白いじゃないか。1999年にやって来るという恐怖の大王なるものがどんなもの見たかった世代としては、ひょっとしたらと思ってしまうのだ。だけども、何もおきやしない。ああ、やっぱりな。叉か。

だけどもQアホン信者たちはそんな風には考えないらしい。つい先日もTwitterで、「世界一斉放送」云々の話を目にしてしまった。つい10年ほど前にはアホンションなるものがはやっていて、UFOがやってくるんだか、次元が上昇するんだかするそうだ。そんな事はいっさい起きなかった。どうやらこの手の与太話は10年周期でマイナーアップデートされて流行るように思える。

なんにしろ、それって「砂の嵐」だろうよ。与太話だって気がつかない人が、いつまでもTV画面に映るノイズを見つめ続けているんだ。きっと今夜こそ、どぎついのが見られるって。目を血走らせて、ノイズしか写っていないTVの画面を見つめ続ける若者の姿が目に浮かぶ。

誰かにすがるだけの人たちには、自分が担がれている事に気がついていない。きっと死ぬまでそんな存在しない希望を待ち続けるのだろう。この世には存在しない希望で満ちあふれている。絶望を直視できない人たちは、無い希望を探し求め続けるんだ。

ニセの希望を掲げるエセ救世主にすがる人々に救いなし

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こんな時代だけに偽の希望を提示するものがもてはやされる。そういや政治の世界でもそんな人気の政治家がいたよね。彼を救世主扱いする人がいるが、ただの魔太郎だ。また国会に戻ってくるようだから、まさに「魔太郎が来る」だ。笑えないギャグだな。

現実では何もしないくせに、ネット上でやたらああいう偽の希望を持ち上げ大騒ぎする人たちを大勢見てきた。やれニヤケタ傭兵だの、れいわ魔太郎だの、枯れ枝野だの、どいつもこいつもニセモノのクソばかりだった。きっとそういう人たちは何かにすがらないと生きていけないんだろう。それがあなたたちの抜け出られない地獄だと知れ。

そんな救われない人たちは死ぬまで砂の嵐を見続けるのだろう。何も写らない砂の嵐の中に、きっと彼らにしか見えない夢の世界が見えてくるんだろう。なんてクソチープな希望なんだろう。

こんな事ばかり言っていると孤立するって? 結構だ。オレはアホと戯れるぐらいなら、独りでいるほうがずっと心地よい。


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