12月24日クリスマスとは、自分が脳なし・操り人形だと云う事を祝うイベント

脳なし

不愉快なこんな記事はきっと誰も読まないと思う。これを読んで不愉快になった人こそ、オレがこき下ろし蔑む、脳みそなしの操り人形なんだ。そう、これを書いたオレ自身も。

ほとんどの人は脳なしの操り人形

人は自分で思っているほど物事を考えていない。自分の考えで行動しているようで、実はその殆どを誰かの思惑で操られている。誰かの意図の通りに行動し、それを自分の意志だと勘違いしているのだ。簡単に言えばアホ。

自分で考えていないんだから、その頭蓋骨の中に入っている脂肪の塊は単なる飾り物だ。いやそれどころか、あなたの行動をコントロールしている、本当の脳みそは何処か別の場所にあると云う事だ。

ひょっとしたら頭蓋骨の中は、空っぽなのかもしれない。自分で考えない、判断しないんだから、脳なんか必要ないだろ? これぞ21世紀。人間クラウドと云う訳だ。

くだらないスーパーマーケットの売り出しチラシ

オレは印刷屋で印刷物のデザインを、もう20年以上務めている。もういい加減このくだらない仕事に見切りをつける時期だと思っている。何が嫌かと云うと、スーパーマーケットの売り出しチラシ。これほどくだらない仕事は無い。

チラシに掲載されているアイテムのそのほとんどは、クソ見たいな、価値のないゴミ(商品)ばかりだ。人の健康に害を与えるようなカスを、売り出す手助けをしなければならないというのは苦痛だ。「ライ麦畑でつかまえて」のホールデン・コールフィールドじゃないが、こんなものを作っていれば日々憂鬱になっちゃうんだよな。

やれ買え! やれ食べれ! 脳なし共!

クリスマスケーキ

そして何よりオレを憂鬱にさせるのが、くだらない行事にかかわる売り出しだ。今の時期だとクリスマス、大晦日、正月のチラシが連続している。全くもってくだらない。

ちょうど今クリスマスなのでクリスマスにしぼって話をするなら、やれケーキを買え、オードブルを買え、チキンだ、ローストビーフだとなる。なんでクリスマスに、世間的にはイエス・キリストの生誕を祝う日にそんなものを食べなければならないんだ? その根拠は何だ? そんなものを食べなければ、クリスマスを祝う気持ちになれないのか?。だが、何のために、誰のために祝う?

血と殺戮の祭典クリスマス

羊
羊を取りまとめる牧羊犬。誰が犬に指示を与えているか?

多くの人は誰かの金もうけの思惑に乗せられて、クリスマスはそうしたものを食べなければならないと思い込まされる。そのために人の見えないところで、大量の鶏や牛や豚が虐殺されているのだ。イエス・キリストなる人物の生誕を祝うのに、これほどの血が必要だとは! いったいどれほど血に飢えた人間なんだろう、イエス・キリストと言う人は!

※クリスマスに食べられるチキンとはこんな劣悪な環境で作られている。生まれてわずか50日程度の短い生涯を、こんな最悪な環境で生きなければならないのだ。動物をこんな風に飼育する社会は、労働者も同じように劣悪な環境で働かさせられる。これほフラクタルの法則と呼ぶ

リンク:ブロイラー(肉用に飼育される鶏)の飼育環境

いや違う。イエス・キリストはそもそもそんな血生臭い人物では無かったはずだ。だがそんな当のイエス・キリストを差し置いて、クリスマスを殺戮の血のサバトにすり替えた奴らがいる。何も考えない多くの人間は、そんな事なんかお構いなしに、肉を貪り食い、多くの動物の犠牲の上に楽しい一夜を過ごしていると云う訳だ。なんて偽善的な祝い事なんだろう。

そしてそんな大量生産されたゴミのような食品に含まれる添加物や何やらで少しずつ健康をむしばむと云う事になる訳だ。偽善面したあほ議員の、「直ちに影響はない」と言う言葉が頭に響く。自業自得だ。

市販のクリスマスケーキには危険がいっぱい? トランス脂肪酸の「クリームもどき」と危ない添加物

12月25日はイエス・キリストの誕生日なんかじゃない

そもそもイエスなる人物が12月25日に生まれたなんて証拠は何一つない事を知っているかな。誰かが何かの都合でそう決めただけだ。そんな架空の祝い事に乗っかり、半年も前に作られたプラスチックの味がするケーキを食べ、薬品でローストしたような味付けをされた肉を食う。

これは何の根拠の無いお祝い事。そこにはまったく本来の趣旨から離れた、全く精神性のかけらの無い商業主義の消費行事があるだけだ。クリスマスだからそうすべきだと云うのは、誰かの思惑どおりに行動していると云う事は、その人は自分の脳を奪われた、たんなる操り人形って事だ。考えているようで何の考えも無い。条件反射ですらない。誰かの操作の通りに動いているだけ。

自分が脳なしだと云う事を祝う日

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ま、そういったわけでクリスマスなる行事は、自分が脳無しだという事を確認する行事なのだ。もしくは脳なしの操り人形だと云う事実を祝う日ととでも思えばいい。ああ目出度いね。

まあこんなことは、添加物まみれのチキンレッグや、粗悪なケーキを喜んで食べている多くの脳無しにはどうでも良い事だろう。えらそうにこんなことを語っている、そういうオレも脳無しの操り人形だ。知らず知らずのうちに、オレも何かに操られているって訳さ。だけどもオレはこんな事を考えて、少しでも人間に近づこうとあがいている操り人形なんだ。

世の中って上手く出来ているよなって思う。こうやって自分が脳無しの操り人形人形だと云う事実を、目出度い事に自分で祝福出来るんだから。そんな事を気にもしない家畜は、家畜のままで一生を終える方が幸せなのかも知れない。

自由というのは、こうした目に見えないしがらみから抜け出すことだとオレは思っている。常識、皆がしているからやるなんてものは、全て目に見えない人間を閉じ込めてしまう黒い鋼鉄の檻なんだ。

クリスマスが終われば、今度は正月だ。そしてバレンタイン。一年中そうした脳無しの祭典が死ぬまで続く。こんな経済は、オレは間違っている思う。


ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ

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