斜里駅逓所跡潜入記 今も斜里町内に残る駅逓所跡その2 

斜里駅逓所跡

北海道各地に残る駅逓所とは

開拓時代の北海道には、駅逓所と呼ばれる施設があって、その建物が各地を結ぶ交易所のような役割を果たしていた。今で言えば駅(馬車の)に、宿泊所に、郵便局、そして役所的機能を合わせ持った施設が駅逓所と呼ばれている場所だ。

開拓時代はまだまだ線路網など、こんなド田舎まで整備されてはおらず、各地を馬車で結ぶ流通が交易の主体だった。そのため10数kmごとに駅逓所が設けられていたと云う。その数全道に600ヶ所を超えていたそうだ。

駅逓所のほとんどは今じゃ取り壊されて、跡地に建てられた石碑がかつてそんな施設があった事を今に伝えてくれる。ところがなんと旧斜里駅逓所だった建物は、今も現存している。これは開拓時代の貴重な資料だ。

斜里駅逓所跡

斜里駅逓所跡

斜里町内には、かつて5ヶ所の駅逓所が存在していたと資料にある。その一つが以前の記事で紹介した越川駅逓所跡。あたしが大学生時代には、まだその建物が、つぶれていたとは云え現存していた。

そしてその中で最古の駅逓所と云われているのが斜里駅逓所だった。その建物はなんと今もその場所に現存している。

斜里駅逓所跡
外壁の鉄板はあきらかに駅逓所以降に改装されて取り付けられたんだろう。アルミサッシの窓も。

斜里駅逓所は、もともとは斜里場所請負人藤野家運上屋が始まりだったという。それが後に駅逓所として使われるようになったそうだ。国鉄釧網線の開通に伴い、駅逓所としては昭和4年に廃止されたそうだ。

斜里駅逓所跡

廃止になった年ははっきりしているけれども、ところがこの駅逓所は何時建てられたかがはっきりとしない。仮に廃止される直前に建てられたとしても、93年の年月が経過している。実際には廃止されるよりも、もっと前に建てられていたのは間違い無いと思うので、きっと100年以上前に建てられた建物では無いだろうか。

斜里駅逓所跡

斜里町や知床博物館の資料をあたってみたものの、やはりはっきりとした事はサッパリ判らない。この建物が何時建てられたかは謎だ。

斜里駅逓所跡

仮に100年前に建てられたとすると、旧斜里町役場庁舎や斜里最古の住宅と云われている川端邸に匹敵する、いやそれよりも古い建物かも知れない。誰かはっきりと知っている人がいれば教えて欲しい。

斜里駅逓所跡

この建物は駅逓所廃止後、民家やその他として利用されてきたと思うのだが、現在は地元印刷屋の紙倉庫として利用されている。その間、度重なる改築、修繕を繰り返され、きっと往時の姿とは全く違っているのでは無いかと思う。

斜里駅逓所跡
二階の窓

斜里駅逓所に潜入

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さてそんな斜里駅逓所跡だけれども、印刷所の工場長から特別に許可を得て中を見せてもらった。往時をしのばせる物品などは、もはや何も無い。だけれども建物の作りや内装は、昔を偲ばせるのでは無いだろうか。

斜里駅逓所跡

建物内には部屋が多く、宿泊や業務など、色々な用途に使われたのだろうと思う。この建物に大勢の人が行き来し、食事をし、休息したのでは無いだろうか。今ではそんな賑わいも無く、ひっそりと紙が積まれているだけの建物になってしまった。

斜里駅逓所跡
室内には沢山の棚が設置されていたが、たぶんこれは印刷屋として利用される事になってから取り付けたものだと思う。

集落を後にすれば、あとは未開の原始林が続くのが当時の北海道だったはず。野宿するのはとても危険だ(今もヒグマの危険はあるが)。ここはヒグマやエゾオオカミが生息する島なのだ。安易に変なところで野宿なんか出来ないのでは無いかと思う。狼は人を襲わないとしても、馬は判らない。そんな事から当時は、こうした駅逓所はとても大事な休息所だったと想像出来る。

斜里駅逓所跡

なおこの駅逓所の真裏には、旧斜里町役場庁舎が建っている。その旧役場庁舎のお向かいには、斜里最古の住宅・川端邸(1923年築)が今も朽ちる事なく保存されている。つまり3つの建物が地図上では1直線に並んでいる。斜里のレイラインだw

斜里駅逓所跡
二階にあがる階段

なぜか斜里最古の建築物が並んで残る事になった。不思議な事にほかにもこの周辺には古い建物が残っている。昔の街の中心地と云う氣の成せる技なのだろうか。いずれにしても、こうした古い建物が長く保存されて欲しいと、勝手に思っている。あたしが出来る事は、こうした記事を書く事ぐらいなんだけれども。

斜里駅逓所跡
入り口上部には電話番号の札が貼り付けてあった。印刷屋の工場として利用されていた時のもの。
斜里駅逓所跡
入り口にある看板には、「北研社斜里印刷所」と書かれている。北研社は網走の印刷屋。この印刷屋は最初北研社の出張所のような扱いで創業した事が判る。約70年前の話だ。

今斜里の町を見ていると、古い住宅がどんどんと建て替えられて、新しい住宅に姿を変えて行く。だけども、そうした今の住宅は30年ももたないと云われている。集成材(時間が経てばノリが劣化し、脆くなり崩壊する可能性がある)やプラスチックでできた建物だから、しょうがないと思う。

ひょっとしたら今から100年後の斜里は、こうした古い建物がいまだに残っているのに、今作られている新しい住宅は何一つ残っていないなんて事もあるかも知れない。21世紀は粗悪な使い捨ての時代として記録されるんだろうと思う。

参考資料:
・郷土学習シリーズ20「斜里・知床の近代化遺産 斜里町立知床博物館発行


■リンク:道東オホーツクの旧駅逓所や駅逓跡碑を巡る旅‼
道東オホーツクの逓跡記念碑

ここの斜里駅逓についての記述がかなり詳細だと思う。

■リンク:斜里駅逓所跡

■リンク:駅逓所とは何?北海道でなぜ広まったの?


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