2023年3月31日退職 そして新しい世界へ

sponsor link
created by Rinker
¥1,700 (2024/11/21 03:17:56時点 Amazon調べ-詳細)
退職の日の机 2023年3月31日
退職の日の我が机 26年間この机で仕事をし続けたのだ。

ついに退職の日が来た 自由への新たな旅立ちだ

今日は2023年3月31日。いよいよスタートの日がやってきた。今日は26年間勤めたこの会社を退職する。もう10年以上前に見限ってはいたが、ずるずると26年間も務めてしまった。が、今日で本当にこの職場の最後の日になってしまった。

26年間デザイン、編集の仕事をしてきたが、その仕事を終えるにあたって何の感慨も無いのは、情緒に欠ける月さそり座だからだろうか? 感傷的な感情は全く湧かない。26年前の間違いをついに正して、清々したような気持ちはある。

退職の理由その1 顔面神経痛

友達に何で会社を辞めるのと言われて、「はて何だったっけ?」と考えてしまったので、退職の理由を最後にまとめて見ようと思う。

まずは顔面神経痛。これが一番大きいと思う。4年ほど前から顔に変な鋭い痛みが走るようになった。それが顔面神経痛の始まりだった。病院にも行ったりして、いろいろ対策も行ったが、思うような結果を得る事が無かった。

そのうちこの痛みはますます悪化して、2年前の最悪の時には会話する事も、食事する事も出来ない日々が続いた。おかげで骸骨のように痩せてしまったよ。一部の友達は、あたしがガンを患っていると思っていたようだ。それぐらいやつれてしまった。

絶望的な痛みに対して、あれこれ試行錯誤を繰り返して、やはり一日中パソコンに向かっている、生物として不自然な仕事がこの神経痛に関わっていると思うようになった。

朝の8時から夕方5時まで毎日最低でも7時間はモニターをっじーっと見ている職場。顔、首や肩はいつも緊張でガチガチだった。妻にはもう骨みたいに首のスジが硬くなっているよといわれたほど。

こうした肉体的な負担が、顔面神経痛の原因になったとあたしは確信している。これは全く医学的な診断では無いのだけれど。

医者からは「脳に良性腫瘍があって、それが三叉神経に触れている。それが顔面神経痛の原因だ」と診断された。その言葉に従って、対処療法の治療を受けていたら、あたしは今ごろ廃人になっていたと思う。

それはさておき、妻には2年ほど前に「会社を辞めれば、この顔面神経痛は終わる」と宣言していた。体とそして心の負担は(心の負担については後述)こうした病を生んでいると結論づけられたのも、内海聡医師の著作の影響も強くある。

とても辛い数年間だったけれども、この経験がなければ定年退職までだらだらと同じ職場に居座っていたのかもしれない。顔面神経痛が退職を後押ししてくれたのだと、今では思っている。

退職の理由その2 左腕の痛み

15年ほど前の仕事机 いろいろ物が置かれてごちゃごちゃしている

顔面神経痛は強烈に辛い経験だったが、それ以外に左腕の軽い痺れ、マヒ、痛みという事も退職の理由にある。

長年マウスとキーボードを使って作業してきたが、15年ほど前から左腕の腕橈骨筋まわりと、前腕三頭筋周りに痛みが出てくるようになった。あれこれ試して見たけれども、ちっとも良くならない。それでもだましだましここまでやってきた。

年末の忙しい頃には、仕事の合間に左腕だけだらりと下げて使わないようにして、右手だけで仕事をして腕を休ませたりもした。この腕の酷使による痛みの対策として、そのあたりの筋肉に緊張がかからないように、机の高さを変えたり、腕台を置いたりといろいろ対策を試したけれどもやはりダメだった。

正月を迎えて会社に行かなくなると腕はすっかり元に戻るのだが、正月明けで会社に行くと再び痛みが出てくる。これはやはりこの仕事をする限りもう、逃れられない痛みなんだなぁと思った。

この左腕の痛みも地味ながら大きな原因だった。

退職の理由その3 形だけでも係長だとか呼ばれてみたかった

こんなものぐらいしか、あたしが働いていた証がないのだwwww

そんな肉体面の影響だけではなく、これまでやってきた仕事に対する倦怠感も退職へ大きく後押ししたと思っている。入社以来26年間、毎年毎年代わり映えの無い仕事を繰り返してきた。最初の数年はそんな事を感じもしなかったが、10年ぐらい経った頃に、まるで自分の人生が、ハムスターのくるくる回るおもちゃの中でがむしゃらに走り続けている様な気持ちになった。

ただただ毎年毎年同じ月に同じ仕事を繰り返しす年月。その結果はデータサーバに完成した仕事のデータとして格納されてゆく。サーバを見ると、あたしのこれまでの26年間の仕事がたまっている。年号だけ違う同じ仕事のフォルダーがずらりと並ぶ。これがあたしのこれまでの26年間の成果なのだ。

26年間も毎年同じ事をしているとうんざりしてくる。小さな会社なので、特に昇進するわけでも無く、業務内容が変わるわけでも無く、これまでも、そしてこれからも同じ仕事を定年まで繰り返すだけなのだ。ごくわずかな変化といえば、多少基本給が上がった程度だ。それもインフレ率を考えると、26年前とほぼ変わらないだろう。

結局平社員として入社して平社員として退職する事になった。実はあたしはこれまで一度も会社で役職なんてものがついた事が無い。たとえ形だけでも、係長だとか呼ばれてみたかった(爆笑)。

あたしはそんな年月に、もう10年以上前からうんざりしていた。一応あれこれ工夫して、変化を感じられるようにしたりもしたが、それも限界だ。

くるくる回るハムスターの回し車の中の生活はもはや愛するところでは無い。

そうした精神面も顔面神経痛にとても影響していたとも思う。心の奥深くにいつもうんざり感を抱えていたのだ。

ブルー・マンデー

話がちょっと変わって、ブルー・マンデーの事も書いておこう。

ブルー・マンデーというのはまさに憂鬱な月曜日の事。あたしは昔から片頭痛を抱えていたのだけれど、この10年ほどは以前より激しくなっていた。妻に指摘されるまで気がつかなかったのだが、特に月曜の午後に頭痛を起こす事が多かった。

確かにこの数十年、日曜の午後になるとだんだんと憂鬱な気持ちになってきた。

「ああ、明日はまた会社に行かなきゃならないんだ」

そう思うと、とことん嫌な気持ちになってくる。このまま明日も休みだったら良いのにと。そして月曜日の朝。うんざりと、絶望的な気持ちで布団から立ち上がるのだ。

そんな月曜日の午後、何故か左首の奥に鈍い痛みを感じ出す。頭も何だか重い。片頭痛の兆候だ。それはやがて左側頭部のドクドクとした痛みに発展してくるのだ。

何とか夕方まで我慢して仕事をこなして、家に帰り着けばもう絶望的に頭が痛い。妻には「今日はもうダメだ。」と一言言うのが精いっぱい。ご飯も食べずそのまま布団に潜り込んで寝てしまう様な事がたびたびあった。

その事をわが家ではブルー・マンデーと呼んでいた。

もう明日からはブルー・マンデーはやって来ない。これからはマダモアゼル愛先生の言うように、「さあ新しい週の始まりだ! 月曜日が待ち遠しい♡」という気分になるんだろう。

今から次の月曜日が楽しみで仕方がない。もう会社に行かなくて良いんだというのが、どれほどすがすがしい気持ちなのかを味わおうと思う。

これから

sponsor link

さてそんな事で明日からあたしは失業者になってしまう。当面は貯金と退職金でのんびりと暮らしていこうと思っている。良いじゃないか、人生の一時にそんなのんきな生活を送ったって。

そしてこれからは顔面神経痛の対策として出会った天城流湯治法を極めようと思うのだ。学べば学ぶほど奥深いこのセルフケア。顔面神経痛はとても辛い経験だったが、天城流に出会えた事はとても感謝している。いやこの出会いのために、顔面神経痛があったのかもしれないと思っている。

始まりは杉本錬堂先生とうつみんのたわいも無いyoutubeの動画だった。そこから全てが始まったように思う。

さあ、これから楽しい旅が始まる!


ここまで読んで頂きありがとうございます。

私の記事をソーシャルメディア等でシェアしていただければありがたいです。 

2 Responses to “2023年3月31日退職 そして新しい世界へ”
  1. 富田 成一 says:
    • katzZK says:

コメントを残す