不安もなく平和だった80年代とイカレポンチバンドを懐かしむ だが自分の心の自由だけは守ろう!
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安息の日々はどこに
TVもラジオもネットもコロナ、コロナ、コロナで毎日不安な日々を過ごさなければならない。仕事がらオレはあまり外出する事が無い。だが今抱えている仕事の都合で、ここ数日出先に行く事が度々あった
。役場に出掛けては、庁舎内の光景に驚く。勤めている職員全てがマスク姿。どこかの食品製造工場かよ! 郵便局に行けばやはり職員は全員マスク装着。これじゃ不審者がやってきても、どっちが不審者なのかわからない。おまけにカウンターの上には、上からビニールの遮蔽物がつり下げられている。受刑者の面談かよ。
暫く外部に出かけていない間に、一気に世間はこんな風に変わってしまった事に驚く。いったいオレはどんな時代に生きているんだ? って。
この重く、暗く、狂気のようにのしかかってくる何か得体のしれない脅威に曝されて続けていると、オレが過ごしてきた子ども時代と云うのは何とも平和でのどかな時代だったんだなと云う事に氣がつかされる。あの平和な時代に戻りたい、なんて考えが頭に浮かぶ。
確かに子どもの頃だっていろいろな脅威はあった。共産国が攻めてくるだの、アメリカ対ソビエトの核戦争が起きるだの。世界終末時計があと1分だなんて、煽り立てる奴らがいるにはいた。だけどもそれほど実際の脅威なんか感じていなかったのも事実だ。どこか遠くの出来事だという氣がしていた。何せ子どもだし。
毎朝、犬と散歩していると通学途中の子供達とすれ違う。こんな幼い子供達が、びくびくしながらこんな陰気な日々を過ごしていると思うと悲しくなってくる。こんな子供時代を過ごして大人になるんだ。今のこの国の有様を見ていると、君たちには楽しい未来が待っているよ、とはとても言えそうもない。
平和だからこそ、奇妙で、奇矯なバンドがイキイキしていた
そう思うと、オレの幼年期から少年期にあたる70年代後半から80年代後半にかけての時代と云うのは、ホントのどかで平和な時代だったんだなと、つくづく思うのだ。なんて貴重な時代を過ごす事が出来たのかと。そんな幼年期を過ごせたことに感謝する。たとえ今がこんな暗黒時代だとしても。
そんな事を思ったのも、女房との夕食時の会話がきっかけだ。何からそんな話が出てきたのか覚えていないが、オレ達が子どもの頃に「ジェニーはご機嫌ななめ」なんて変な歌が流行ったよねぇ、なんて言葉が飛び出した。
その発言から次々と、当時のヒット曲名が出てくる。しかもイカレポンチなバンドの歌ばかり。今思えば、なんであんな奇矯な、奇妙な歌やバンドが流行ったのだろう? と不思議に思う事ばかり。
そんなイカレタバンドがヒットを飛ばして、しかもベストテン番組なんかに出てしまうなんて事も多々あった。ただしその後二度とそういう番組に出る事なく消えてしまったり、本来の活動フィールドにもどって地下に潜ってしまったバンドも多かったが。
オレが子どもの頃って云うのは、まだロックシーンなんてモノがビジネスとしてしっかりと確立されていなかった時期だ(と思う)。まだ海のものとも山のものともわからない怪しげな若いあんちゃん、ネーチャンが演奏する音楽。歌番組に間違って混じっているけれども歌謡曲でも無い。そんな過渡期だからこそ、ゲテモノ的な奇妙なバンドも現われて、田舎者のオレなんかは目を見開きっ放しなのだ。
♪ヴァージンVS / ロンリー・ローラー 謳い方がちっともニューウェーブじゃないのが違和感があって最高に面白い。あがた森魚はやはりあがた森魚だ。
深夜放送を見ていると、そんなイカレポンチバンドがここぞとばかりに演奏している場面に、オレは出くわすのだ。そんなのをたまたま見てしまって、更に人生が拗くれてしまう。あの頃はなんて平和な時代なんだろう。
自由は自分の心にしかないのかもしれない
40年前の昔だって、そりゃあいろいろと不自由はあったさ。いや不自由だらけだ。だからこそ彼らは歌い、叫び、主張していたのだ。だけども今はどうなったかと云うと、自由と云う言葉さえもう本来の意味から離れてしまったと云わざるを得ない。
みんな何が自由か、なんて事すら分からない時代になってしまった。そう自由なんかもう自分の心の中にしか無い概念なんだ。だけども、自分の心の中すら他人に預けてしまっている人も多くいる。その考えは本当にお前の考えた事なのか? 誰かの意見をそのままコピペしただけだろう。
♪P-MODEL / 美術館で会った人だろ(ART MANIA)
狂気に溢れる社会に住んでいると、おかしいのは社会じゃなくて自分の方なのか? と疑い始める自分がいる。何が正しくて、何が間違っているんだ? 社会が狂っている? いやそう思っている自分こそ狂っているのか? こんな国に生きているというのは、自分の正気を保つのは辛くなってくる。オレはキチガイなんだと思うほうがどれほど楽な生き方なのだろう。
こんな事を考えるのも、自分が歳をとったせいだろうと思う。子どもの頃の平和な時代に帰りたい。そんな事は不可能だ。そして子どもの頃が平和で安寧な時代だと云うのも幻想だ。自分じゃどうにも出来ない事に心を預けちゃだめだ。
平和と安寧なんてものは、自分で自分の心に作り出すものなんだ。だからどんな酷い時代に生きようが、心の自由だけは誰にも奪われてはいけない。そこだけが自分で平安な場所を作り上げられる場所なのだから。
ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ