最後の1匹になってしまったニワトリ(烏骨鶏)パー子が逝ってしまった

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ニワトリのパー子
パー子はカーシャの事をあまり好きではないらしい

パー子が逝く

深夜に、突然大きなバタバタという音が部屋に響いた。その音でオレは目を覚ました。その数秒後にまた同じ音が聞こえてきた。それはケージの中でニワトリのパー子が羽ばたいた音だった。

オレと妻は直ぐに飛び起きる。パー子のケージを覆っている保温用の布を外す。パー子はケージの床で、横倒しになってもう動かなくなっていた。鶏は死の瞬間、最後にバタバタと羽ばたいて死んでいく。時間は深夜の1時5分。2020年9月29日の事だった。

パー子が孵ったのは2020年6月20日頃の事だ。なので彼女の享年は10歳と3ヶ月という事になる。烏骨鶏の寿命は10歳から15歳と云われているので、まあほぼ寿命を生きたといえる。だけども、まだまだ長生きすると思っていただけに、とても残念でならない。これまで老衰で亡くなって行った鶏たちは、もっとよぼよぼになって死んでいたのだから。

鶏も10歳になればずいぶんと衰えてくる。相棒のハト子が昨年亡くなり、パー子は1年半、1羽で暮らしてきた。その間食欲もだんだんと少なくなり、体重も以前に比べれば明らかに軽くなった。

それでもパー子は、この1年間毎日を元気に過ごしていた。庭の雑草や虫を見つけて食べたり、カラスが飛んでいれば急いで小屋に逃げ隠れたり。

そして夕方の家に収容する時間になると、庭の片隅にぼーっと立ち止まって迎えが来るのを待っていた。その姿はまるでバス停に待つ人のようだった。なので夕方、パー子が庭に出ている事を、『パー子がバス停にいるよ』と呼んでいた。

ニワトリのパー子
バス停で待つパー子

パーだけどかわいかったパー子

2羽のニワトリ
小屋の外を自由に遊ばせると、とても喜ぶパー子とハト子

パー子はいつもポーッとして、そして突然予測不可能な行動をする事がある。仲良くハト子と2羽並んでいたかと思いきや、突然なんの前触れもなくハト子の背中を突っつく。ぼーっと立っているかと思いきや、突然奇声を上げて全力疾走する。そんな様子から、当初ピー子と呼ばれていた鶏はパー子になった。

パー子は何かイカレている。オレはずーっとそんな風に思っていた。がハト子が亡くなり、こうして1年以上密接に暮らしていると、パーなだけではなくて、とてもかわいらしい鶏でもある事にも気がついた。

ご機嫌な時や、肉やトウキビなどおいしい食べ物を貰えると、小鳥のような澄んだかわいらしい声で鳴く。「ホ、ホ、ホ、ホ、ホー、ホーぅ(最後は語尾があがる)」。

また家に居て絶対に安全な状態だというのに、窓の外でカラスが上空を横切った影を見ようものなら、
「クワァッ、クワァッ、クワァッ、クワァッ」と警戒の声を上げ続ける。

また、「グワッグワッ、グワッグワッ、」等と鳴く時は、家に居ても退屈だから、はやく鶏小屋に連れてゆけと云っているんだと思う。

実は鶏はいろいろな声で鳴く。

パー子最後の日々

2羽のニワトリ パー子とハト子
いつもこんな風に庭並んで止まっていた

パー子が居なくなってしまった今、もうこの事はずいぶん昔の事に思えてしまう。だが、これはつい先週の話だ。それはお彼岸の中日、22日の事だ。その日はパー子のお迎えが一寸だけ遅くなった。いつもならパー子がバス停で待っているはずなのだが、その日に限って、パー子は庭に立っていない。まだ小屋の中にいた。

パー子を連れ戻しに、オレは鶏小屋に入った。バス停に立っていない時は、普段なら小屋の真ん中でぼーっと突っ立っている。だが、その日彼女は止まり木に、静かに止まっていた。その姿を見た時に、居ないはずのハト子がその横に並んで留まっている錯覚を覚えた。1年前までよく見た光景だった。

ハト子が亡くなる前まで、いつも2羽仲良く止まり木の真ん中に止まっていた。その姿は暮れ行く外を眺め、静かに2羽で会話しているように見えた。

パー子が小屋の止まり木に止まったのは、これが最後になってしまった。お彼岸だからハト子が来ていたのかも知れない。

家に入れる為に、止まり木からパー子を捕まえる。両手に抱えた彼女の重みが、何故かいつもよりもずっと軽く感じた。また少し痩せたのかなと思った。

その日以降パー子の調子が、がくんと悪くなってきた。ケージの中でも首をすくめて寝ている事が多くなった。玄米(白米だと絶対に食べない)をあげてもあまり食べない。いつもなら、カツカツカツと云う音を立てて米をついばむのだ。目も良く見えないのか、米や水を飲む時に、見当違いの場所をついばもうとしている。

27日(日曜日)の朝、パー子のケージの覆いを取り去ると、床に敷いた新聞紙が殆ど水状の便でびちゃびちゃになっていた。そしてパー子の息は、ちょっと辛そうに頭を上下している。その日から殆ど何も食べなくなった。

翌28日。パー子は立ってまともに歩けなくなった。時折すーっと立ち上がるものの、歩こうとすればよろめき、頭から床に倒れ込んでしまう。そんなパー子を見て、これはもう長くはないなとオレも覚悟した。これまで何羽も鶏の最期を看取っているのだ。

その日パー子は、よく首を背中に付くぐらいにのけ反っている姿を目撃した。これは以前チャボ子と名付けていた鶏が亡くなる前日にしていた行動だった。きっと息がしずらいに違いない。

パー子が最後の鶏になってしまった

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ニワトリのケージ
もう住むものの居なくなったケージ

オレが街に暮らし始めて、今年で9年目になる。その前の10年間は斜里岳山麓地区の、離農した農家の一軒家を借りて暮らしていた。鶏はその時から飼っている。親の病気の事もあり、2011年に今の住宅地に越してきた。その時に12羽の鶏も一緒に連れてきた。野菜の収穫カゴ3個に詰め込まれた鶏達は、軽トラの荷台に乗せられて、生まれて始めての15分のドライブを経験する。

この9年間で鶏達は、病気や老衰でだんだんと数を減らしていった。最後に残ったのがパー子だった。まさかこの鶏が一番最後の鶏になるとは。全く予想していなかった。

今年の春、パー子の為に鶏庭のフェンスの張替えをした。パー子は少なくともあと数年は生きるだろうと、その時は思っていたのだ。昼間は外で過ごさせて、夜はケージで家の中で休ませる。そんな生活をさせていたのが良かったのか、パー子は歳の割にとても若々しく見えた。だからもっと長生きすると思っていたのに。

ニワトリのパー子
作り直した庭に入るパー子

もう住むものの居ない鶏のケージは、まだ玄関に置いたままだ。何となく直ぐに片付ける気になれない。この5年ほど、そのケージはいつもそこに置かれていたのだ。無人のケージの中に、なんだかまだパー子が、ハト子が、いやこの家で介護してあげた他の鶏たちが居るような気がして仕方がない。


ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ

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