解体される国、国民は外資の家畜にされる2020年 そんな時代の必読書「続・ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ」

解体される国の国民の必読書は、続・ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ

解体される国で選挙に意味なんかあるのか?

7月も今日で終わり、参議院議員選挙があった事なんか遥か過去のように思える。毎度の事ながら選挙が終り、溜息しか出てこない。

子供の時に何かをやらかしてしまい、親や教師に怒られる事が間違いないなんて時にこんな事を夢想した。『宇宙人が攻めてきて地球が破滅しないかな』とか、『巨大地震がやってきて学校どころじゃなくなればいいのに』と。

だけども実際に、そんな破滅的事態なんて決してやって来やしない。おじさんの歳にもなれば、そんな事が都合よくやって来やしないという事を、これまでに嫌になるほど経験している。

今回の選挙も同じだ。ひょっとしたら。ひょっとしたらなんか決してない。いつも通りの結果だ。そんな時に選挙なんかにちょっとでも期待している自分を、自分であざ笑う。虚無虚無クラブのクセに、選挙に何を期待しているんだよと。

選挙なんか外装だけを新しくした新車のようなものだ

選挙は所詮この国の政体の表面塗装を塗り替えるだけの話。何処だかの車と同じだ。多少改良して、新型プリクソ発表という奴だ。選挙で変わるのは、見た目だけ。この国を本当に動かしている官僚機構はそのまま。いやその官僚機構の上にいる、アメリカ軍、軍産複合体、グローバル企業がこの国の本当の統治者だ。国民が決して関われない部分でこの国は動いている。だから選挙なんか無意味なんだ。

結局の所選挙結果は、今のロクでもない政治状況を国民に納得させるための方策。あんたら国民がこんな政権を選んだっていう。だけども実際の所国民の半数近くは投票に行っていない。国民から選ばれていない政権が、この国を表面的に運転しているフリをしている。憲法よりも遥かに高見の誰かからの指示で。

選挙に行かないからいつまで経っても政治が変わらないんだ。
選挙は国民の権利だから行使すべきだ。
選挙に行きもしないでああだこうだ言うな。
選挙に行かないから悪い等々

いつも決まって選挙に行かない人達の事を糾弾する言葉をあちこちで聞く。政治に精通した、とても賢いとうぬぼれている人達の言葉だ。オレに言わせれば、それらの言葉は全く的外れだ。そもそもが選挙なんかでこの国は何も変わらない仕組みで動いている。

だから、選挙に行かない国民は、この国の本当の仕組みを知っている、真に知的な人達(虚無的だが)も一部存在していると思う。だがロマンチストのオレは、それでも「ひょっとしたら」が見られるのかもしれないと、無力感にさいなまれながらも投票所に足を運ぶのだ。自分でもどうしてか分からない。

秋嶋亮著「続・ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ」

秋嶋 亮さんという思索家、社会学作家がいる。彼がこの5月に「続・ニホンという滅び行く国に生まれた若い君たちへ」という本を出版した。続というから正もあるわけで、彼の書いたこの正・続の2冊を精読すれば、よっぽどの痴呆でもない限り、この国が、もはや国家としての体裁すら保っていないという事が判るだろう。この本で述べられているこの国の実相は、知れば知るほど暗澹とした未来がオレ達を待っているという事が判る

例えば、
ほとんどの法律は在日米軍等の指示により官僚が作成している。国民の安全なんかクソ喰らえで、外資の利益が最大限になるようにどんどん法律が作り替えられて行く。国民の福祉は削られ、外資の利益にすり替えられて行く。そんな恐ろしい法律が通る時に限って、何故か芸能人などのスキャンダルが起こり、TV、マスメディアは連日くだらない報道にあふれ返る。

国民の財産がどんどん外国に売り飛ばされて行く。移民の解禁で国民の仕事は奪われてゆく。そういった重層化する危機に私達は直面しているというのに、プロパガンダ機関と化した新聞、ニューズメディアによって国民の多くは、その危機にすら氣がついていない。

未だに新聞が正しい、TVの報道が正しいと、自分で思考する事を放棄し、思考を外部にゆだねる国民には、この危機が分からない。国民の思考をマスコミを通して鋳型に当てはめては、人々の思考を縛り物事を深く考えなくさせようとしているのだ。新聞は購読料よりも、広告の方が収入が多いのだ。TVは広告主の御好意で放送している。それらメディアは誰かさんのプロパガンダ機関なのだ。

秋嶋さんは言う「有権者は肉屋を支持する豚に等しい」と。

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1人でも多くの人がこの事に目覚めて、愚かな肉屋を支持する豚から脱して欲しいと思う。

例えばオレが屠殺場に送られる豚であったとしよう。正に殺されるその瞬間に、

「いやこんな訳が無い、今目の前で殺された豚は何かの間違いに違いない。これは嘘だ。オレまで殺される訳が無い。」と思いながら屠殺されるか、


「さあ殺すんなら殺しやがれ。オレの頭に電気棒を押し当てるお前の顔をしっかりと覚えておいてやるからな。肉体は切り刻まれ売られても、オレの魂の自由まではお前らには奪われないからな」と言って殺されるか。

オレは後者を選ぶ。だから知りたいし思考する。

若い人はもちろんだが、これから屠殺され、解体される大人こそこの本を読むべきだ。知るべきだ、この国の本当の姿を。全ては知る事から始まる。自分たちを取り囲む、朧な黒い鋼鉄の檻の姿を。


ここまで読んで頂きありがとうございます。

私の記事をソーシャルメディア等でシェアしていただければありがたいです。 東倉カララ

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