スピリチュアル・ウォーカー 〜5000年後の未来人との精神交流を描いたノンフィクション ハンク・ウェルスマン著
Table of Contents
いつまでこの狂った社会が続くんだ?
強欲グローバリズムが世界を席捲して、企業が国を越えて世界中を食い尽くしている。全ては金に換算されて、人の命すら金もうけの対象だ。毒を売って儲かり、病気になれば薬を買わせて更に儲かる。環境も空、陸、海、どこもここも毒まみれだ。世界中あちこちで紛争は絶えず、紛争も強欲グローバリストのメシの種だ。
家畜は身動きの出来ない檻に閉じこめられ、虐待され、屠殺され、短い命を終える。人間もグローバル企業の栄養分として、良いようにこき使われ、干からびて捨てられる。政府もグローバル企業の下請けだから、セーフティーネットなんか穴だらけ。
こんな日々不安だらけの毎日。いったいこの社会はどうなってしまうんだろう? と誰もが未来を憂いていると思う。だが大丈夫だ。人類は絶滅なんかしない。安心しな。ただこのふざけた文明は5000年後には滅んでいるそうだ。だが人間はたくましく石器時代を生きている。石器時代だが、精神文明は今よりもずーっと進んでいるみたいだ。心配するな。
未来の人間との精神交流を描く
スピリチュアル・ウォーカーという奇妙な本がある。人類学者のハンク・ウェルスマン自身が体験した驚異の出来事を記録した本だ。その奇妙な体験とは、5000年後の人間の精神に接触して、その時代の世界を探検してくると云う、にわかには信じがたい体験記だ。
ハンクさんの奇妙な体験は、カリフォルニアからハワイに移住した時に始まった。1983年に最初の変成意識状態を体験をする。その不思議な体験はそれだけに終らなかった。1985年から1989年にかけて12回、5000年後に生きる青年ナイノアの意識と接触し、その世界を体験することになる。最後にはナイノアとハンクさんとの間で、意思の交流もしてしまうと云う内容だ。
ハンクさんは文化人類学者として、この奇妙な体験に戸惑いながらも、彼が見てきた世界を事細かに記録に残す。今現在の文明はグレート・エイジと呼ばれ、200年ほどの栄華を極めた後、崩壊する。その原因は詳しくは判らないのだが、人口爆発、海水面の上昇による洪水、その他の要因で文明が滅ぶんだそうだ。
ナイノアは西海岸から北アメリカ大陸内部へと探索に行く
ナイノアは元々はハワイの人間だ。ハワイでは機械文明が滅び、合わせて海水面の上昇が起きる。そのため多くの人口を養う事が出来なくなり、多くの人が飢えて死ぬと云う。残った人達は新天地を求めて船で太平洋を横断し、アメリカ大陸に到着する。アメリカの西海岸に定住したハワイの部族は、内陸を探るためにナイノアを探検へと送りだす。その送り出された旅の途中に、ハンクさんはナイノアの精神に接触する。
ナイノアの旅ではシティーと呼ばれる、現文明の崩壊した都市部を通過したり、遺物を発見したりする描写がある。今現在の石油化学文明の物品は、5000年の流れに耐えられるものはほとんどない。ボロボロに崩壊して僅かな遺物を残すだけになっているようだ。縄文遺跡とは大違いだ。
人間の少ない5000年後の世界は、野生の王国になっている。家畜として拘束され、虐待を受け、そして最後には屠殺されて来た牛は野生化している。彼らは長年人間から受けてきた暴力の為に、人間に対して激しい敵意を持つている(あたりまえだな)。気をつけてはいたものの、ナイノアは野牛に襲われ大けがをする。ただ犬好きのオレとして嬉しいのは、犬は5000年後の世界でも人間の友達でいてくれるようだ。ナイノアの旅をお供する犬の姿も描かれている。
安心しな! 5000年後は再び石器時代だ! ヤッホー
5000年後の地球は、人々は石器時代のような生活を送るようになる。科学文明は滅んでしまうのだが、その代わり高度な精神文化が発達している。人は自然を敬い、謙虚に日々を送る。馬鹿みたいにデカイ車でコンビニに乗りつけ、アイドリング状態で、アホエナジードリンク一本だけを買うようなアホはもういないんだ、5000年後にはw
今世界に満ちあふれているこの先の見えない混乱。資本の暴走で、人の命すら食い尽くされようとしているこの世界。人の心は乱れ、異常な事件が続発する。こんな世界がずっと続くのだろうか? いったいこの文明はどうなってしまうのだろう? このダーク・エイジはいったいいつまで続くのだろうか?
誰もがそんな不安に嘖まれているだろう。こんな文明がいつまでも続くはずが無い。多くの人は文明が崩壊しているこの未来に、恐れを感じるのだろう。だがオレは、この本に喜びを感じた。この本が作り物で無ければ、これは希望の書だ。
滅びは再生の始まりだ。人類は絶滅する事なく生き延びる。そしてこのイカレタ文明だけが過去のものになる。願わくば、この間違った進化を再び繰り返さないように。
これから更にいろいろな困難が我々には待ち受けているんだろう。だが安心しな、この壊れた世界は、あと100年ももたないんだ。
この夏20数年ぶりに読み返えした
この本の邦訳が出版されたのは1996年。その年の夏、オレは東京生活に見切りをつけて、自転車のサイドバック一つだけを持って、北海道に向かう。函館で自転車を買い、その夏オレは自転車で北海道を一周した。その際のお供がこの本だった。毎晩テントの中で、懐中電灯の明かりの下で、この本を読み進めていった。一日中自転車を漕ぎ疲れ果て、眠い目をこすりながらの読書は、ちっともページが進まない。
この夏何故かこの本を読み直したくなった。この社会の不安や混乱が、この本を思い出させたのだろう。人間をまるで家畜のように扱うこの社会。こんな剥き出しの欲望の資本主義社会が終る、と考えただけでオレは痛快なのだ。そう思わないかい? これからの人類には高度な精神社会が待っている。今はその時を産む為の苦難の時なのだ。
下の本は2015年に改題、再編集されて出版されたもの。
ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ