パー子10歳 我が家のニワトリ

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パー子ちゃん、10歳の誕生日を迎える

10歳になったニワトリ
家の中ではケージで過ごしています


我が家のたった1匹の鶏、パー子ちゃんが6月の末に10歳の誕生日を迎えた。1年前までは2羽居たのだが、狐に鶏小屋を襲撃されてしまい、1羽噛み殺されてしまった。パー子ちゃんもその時に怪我をしたものの無事に回復した。女房が機転を利かせて、遠隔気功治療したのが良かったのかもしれない。

鶏はとても繊細な生き物なので、友達が死ぬと、ショックを受けて衰弱して死んでしまう事がよくある。1年前に一人ぼっちになったパー子。彼女も弱って死んでしまうかもしれないと気がかりだった。

だけども、それから一年経過した。パー子は元気そのものだ。鶏の10歳と言えば、もうかなりの高齢鶏だと思う。もう卵は1年以上産んでいない。動きがずいぶんスローモーになった。だけどもそれほど耄碌を感じないし食欲も旺盛だ(ただしものすごい偏食で、好き嫌いが激しい)。

これまで飼って来た老鶏でやはり推定10歳ぐらいまで生きた鶏は何羽もいた。だけどもそれらの鶏は、痩せてよぼよぼの年より臭い鶏になって死んでいった。

趣味の養鶏


オレは約20年前から趣味として鶏を飼い続けている。一番数が多かった時は、40羽近い数の鶏を飼育していた。当初は増えすぎた鶏を食べても居た。だが飼っている鶏を殺して食べるというのは、思っていた以上に精神に応えるものだ。鬼人にならなければ鶏なんか殺せない。殺戮を繰り返していると、鶏が単なるモノに見えてくる。食肉産業の労働者が動物を虐待している動画を見て、自分も同じ道を歩んでいることに気がついた。

リンク:2020年改善されない屠殺場の「福祉」

そんな事もあって卵を産まなくなろうが、耄碌しようが、鶏は食べずに死ぬまで飼うことにした。

だけども雛を孵しては収拾がつかなくなる。なので新しく鶏を導入したり、雛も孵さないことにした。なのでこの10年間でだんだんと老衰や病気(ガンのような皮膚病だった)で、鶏の数は徐々に減って行く。この3年はたった2羽の鶏を世話していた。

ハト子とパー子のニワトリ姉妹

ヒヨコと母鶏
生後1ヶ月のパー子ちゃん達 1番右がパー子。真ん中はピー男、左がハト子。 養母はのちにショボ婆さんと名前が付けられる

最後に残った2羽は姉妹で、我が家にやってきたのは2010年の7月。その頃は羽化して1〜2週間目の黄色いヒヨコだった。最初彼らは6羽の兄弟姉妹として我が家にやって来たが、不注意でドブネズミに3羽食べられてしまった。残りの3羽は無事大人になった。その3羽はハト子、ピー男(名前の通り雄)、パー子と名前を付けていた。この3羽は兄弟だけに、とりわけ仲良しの鶏だった。

先住鶏たちがどんどんと老衰で亡くなり、最後に残ったのが、ハト子とパー子のニワトリ姉妹。この2羽だけの暮らしが2年ほど続いていた。その頃は春から初冬までは、一日中鶏小屋で過ごさせていた。そして真冬は昼間は鶏小屋、夜は家の中に連れてきてケージで寝かせるという生活をさせていた。歳を取れば鶏だって寒さに弱くなるんだ。

そんな暮らしが良かったのか、この2羽の鶏は殊の外元気に老後を暮らしていた。卵なんか8歳になる頃にはほとんど産まなくなっていた。そして1年前の悲劇。それからパー子の一人暮らしが始まった。それ以来パー子は、夏場でも夜は家の中に入れるようになった。

気ままな一人暮らし?

家でくつろぐ烏骨鶏
犬がすぐ横に寝そべるので鬱陶しい

当初の心配をよそに、パー子は長生きしている。彼女は孤独な生活を楽しんでいるのかどうなのかさっぱりわからないけれども、毎日のんびりと送っている。今は昼間の数時間鶏小屋(網に囲まれた庭と砂場付)で過ごし、その後は家の中のケージで暮らすという生活を送っている。もう若くないので、活発に動き回らないから、狭いケージでも平気なようだ。無農薬栽培の玄米が殊の外大好きだ。

パー子はもともとピー子と呼んでいた。だけども、あまりにも奇矯な行動から自然とパー子に改名した。パー子は時々壊れたのかと思うくらいぼーっと突っ立っている。すると突然奇声を発して猛ダッシュするという奇怪な行動を若い時からしていた。友達のハト子をなんの前触れもなく突然突っついたりもした。その時のハト子の顔は、まさにハトが豆鉄砲をくらった時のような顔をしていた。

鶏小屋併設の遊び場を補修する

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修理が終った鶏小屋
作り直した遊び場の金網

鶏小屋に併設した鶏の遊び場は、作ってからもう7年も時間が経った。あちこち金網が綻んでいたり、柱が腐って折れかけていた。このままではまたキツネに又やられるかもしれない。

烏骨鶏のパー子ちゃん
パー子ちゃんご入城です

そんな事でたった1羽の鶏のために、この7月の暑い週末、鶏庭の補修工事を行った。柱を立て直し、網を張替え、地面下には板を埋め込みキツネが穴を掘って侵入するのを防ぐ。こんな時に限って、天気は快晴だった。気温は25度以上の猛暑日になってしまった(オホーツク人にとって真夏日は20度以上。25度は猛暑だ)。完成させるのに、親父とオレの2人で、まる2日かかってしまった。お陰でオレは3日ほど疲労で寝込みそうだった。

暖かく過ごさせてあげると、鶏はとても長生きするのは間違い無い。パー子は後何年生きるのかわからないが、最後の1羽の鶏を大切にしてあげたいと思う。そんな風に一生を終える鶏がいたっていいじゃないか。たぶん99.9999%の鶏はわずか5〜60日の短い命なのだから。


ここまで読んで頂きありがとうございます。

私の記事をソーシャルメディア等でシェアしていただければありがたいです。 東倉カララ

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