ハッキババー 心の中にわだかまる亡き母への思い

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亡き母

母親はハッキババー

私の母親はよく怒る人だった。はっきり言うとかなりヒステリックな性格で、私は何かといえば金切り声を上げて怒鳴られていた。ヒステリックに怒り狂う母親に対して、4歳か5歳の頃の私は、「このハッキババー」と悪罵を投げかけていた

「ハッキババー」とは、本当は「発狂ババア」と言いたかったと思うのだが、幼児なので口が回らず「ハッキババー」と発音していたと思うのだ。私がそんな悪罵を投げ返そうものなら、母親は更に怒り狂い金切り声で怒鳴ったものだ。言うなればスーパーハッキババーだ。

誰が教えたハッキババー?

今でも不思議に思うのだ、何故単に「クソババー」じゃなかったのか? 4、5歳の子供が何故発狂なんて、その時の母親の状態にうってつけの言葉を知っていたのだろうか? 

発狂なんて言葉はそんな幼児が使うにはあまりにも不似合いな言葉だ。じゃあ、一体誰が私にそんな言葉を教えたのだろう? それともヒステリーを起こした母親を見た誰かが、発狂しているみたいだとでも言ったのを渡しが聞きつけて作った言葉なのだろうか?  

幼児のオレがそんな言葉を知っていたことに、いまでも本当に不思議に思う。

ハッキババーも今では鬼門

そんなハッキババーが死んで今年で13回忌になる。考えてみれば私が子供の頃から、そんなヒステリックな母親が大嫌いで何度も衝突したものだ。中高時代には一切口を利かなかった期間を合わせれば、2年間にはなるのではなかったか。なので私は小さな頃から母親に対して愛情を覚えたことがないと言えば嘘にならない。

そりゃあ母親の死の際には涙を流しはした。だが母親の事を本当に愛したとか、感謝の念を覚えたかと言えば、心底そんな思いを抱いたことは少ししか無い。未だに母親に対する憎しみが心の中に息づいている。オレにとっての母親とはハッキババー、そのものだった。

私の中に生きるハッキババー

今年私は57歳になった。もう誰が見ても立派なおじさんだ。これまでの人生で、私は数々の失敗をしてきた。そして色々上手く行かなかった時に、我を忘れ怒鳴り散らし、すべてを台無しにしてきたことは数多くある。そう、私の中にもハッキババーが生きているのだ。

この年になって、そのことがよくわかるようになった。ああ、これは私の母親だ。死んだと思っていた母親はこうして私の中に生きていると。

私はこの5年間程、三叉神経痛に悩まされてきた。話す時に、頬骨のあたりにハリを指すような痛みが走る。食事で何かを食べようとした時に、突然の痛みが顔面を襲う。それどころか、単に下を向いた時、左を向いただけでも、鋭いハリを指すような痛みが顔面を襲う事もある。

それは本当に突然で、全く予想外な時に痛みが走る。そんな事が続けば、次にいつ痛みが走るのだろうと、恐怖感がドンドンと高まってゆく。やがて精神的に参ってしまい、何度も何も食べる事が出来ず3日ほど寝込んでしまったこともあった。

実際に起こる痛みはそれほどでもないというのに。そんな頃に脳神経外科を受診してみると、良性の脳腫瘍が脳幹の左下にあることが見つかった。顔の痛みは左。そして脳腫瘍も左に存在していた。

左は女性性を現す

三叉神経痛については診断ではなく、知り合いの東洋医師にごく簡単なアドバイスを求めてみた事がある。その答えでは、

「三叉神経痛の痛みが左側に現れるということ、そして脳腫瘍が左にあるということは、女性、特に母親との関係、家族との関係性が起因している」

というアドバイスを貰った。

東洋医学に馴染みのない方には何のことだ?と思われるが、簡単に言えば病は心が作り出すものという概念がある。その考えに則って考えてみれば、オレの三叉神経痛とはまさに母親との関係性が作り上げたものなんじゃないだろうかということだ。未だに残る母親への恨み、憎しみ。そういった感情が脳腫瘍を作り、そして三叉神経痛に繋がっているのかもしれない。

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自分こそハッキババー

じゃあ、どうやってその母と和解し、そして乗り越えてゆくば良いのだろう? 

誰が幼児の私にハッキババーなんて単語を教え込んだのだろう? ひょっとしたら未来の私が、幼児の私に接触して、ヒステリーを起こした母親に「ハッキババー」と言えと教え込んだんじゃないのか? なんて妄想することもある。

これまで私も感情の爆発で、数々のしなくても良い苦労、人間関係の破壊に後悔してきた。そのせいで逆に人とは深く関わらないように、人とは壁を作ったほうが楽に生きられると、そんな人との接し方をしてきた。

ヒステリーを起こした母親に対する憎しみ。それがそんな私中の心の壁の原点なんだと思う。人に対する拒絶。それは母親から譲り受けたものなのかもしれない。ハッキババーとして。

そう、怒り狂った時の私こそ、まさにハッキババーなのだ。ハッキババーは私の中にいまも生きている。私こそハッキババーなんだ。

私の中に生きる母親をしっかりと認め、そして和解する、それがもう残り少ない私の今後をより良く楽しく生きるためには必要なことなんだと思う。

そう私の中にはハッキババーが、母親がいるんだ。もう今はなき母親。もう和解することの出来ない母親。だが私の心の中にいるハッキババーとは和解することが出来る。きっと和解できれば、ハッキババーは優しい母親に戻ることが出来るんだろう。

それが出来るか出来ないかが、私の残りの人生をより有意義に生きられるか、三叉神経痛等の痛み、心の痛みに苦しむ人生で終わるかの分かれ目なのだろうと思う。

ありがとう母さん

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これまで何度も、自分のこの人生は失敗だったと深く後悔することがあった。「またこの人生を失敗してしまった!」と悔やむのだ。

輪廻転生、生まれ変わりなんて云うものは、人生を失敗した者が考えついた方便なんじゃないかと思うこともある。失敗しても次があるさと。

だがマドモアゼル愛さんが云う月の欠損理論によれば、月は常に現在に過去を介入させ続けるという。そのため過去のしがらみに絡み取られ今すべきことをおろそかにして、その人生を失敗させてしまうというのだ。まさに今の私そのものじゃないのか?

そんなことで私はハッキババーと和解出来れば、残りの1年? いや10年? 何年かわからないが、たとえ短い期間だとしても楽しく充実した年月を過ごす事ができるんじゃないかな。

そうなれば、ここまでいろいろあっても、それはいい人生だと言えるのだ。そのために私の中に潜むハッキババーを見つけ、そして許し、和解し、素直に愛することが出来きれば、人生に後悔を残さず終えられるのだと思っている。

ありがとう母さん。


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