自転車で北海道一周40日間の旅 自由とは何ものにも属しない事、縛られない事
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ボロボロに崩壊して行く北海道地図
これまでいただいた手紙や、学生時代のノートなどを保存している資料箱がある。先日とある探し物の為その箱を開けた所、収納物が白いホコリまみれになっていた。箱の底にも、白いホコリが貯まっている。触れるとぽろぽろと崩れ、更に細かくなるプラスチック様の薄片のホコリ。
そのホコリの正体は、なんと40年前の北海道地図だった。その地図は、ユポと呼ばれるプラスチック紙に印刷されたものだ。それが40年の歳月で劣化して、今正にバラバラに崩壊する途中だったのだ。かって地図だったものが、今問題になっているマイクロプラスチックに変貌を遂げようとしているのだ。特に思い入れのある地図だったのだが、劣化が酷く修復も不可能なので、泣く泣くなげる(北海道弁で捨てるの意)事にした。プラスチックはこうやって環境を汚すんだな。
23年前の夏、自転車で北海道を一周した
何故この地図に思い入れが有るかと云うと、この地図だけを頼りに北海道を自転車で走破したのだ。23年前の夏。20代最後の夏。
オレは1996年の7月末に3年半勤めた某財団の職員を辞め、そして10年間暮らした東京を離脱した。自転車用サイドバックだけを持って、夜行バスと鉄道を乗り継ぎ北海道に上陸した。自転車は函館で調達した(今思えばどうせなら千葉から青森まで自転車で走れば良かった)。
出発は8月5日の午後。自転車屋でマウンテンバイクを買い、そのまま旅に出発する。お供は国道と国鉄路線ぐらいしか書いていない、北海道広域地図一枚だけ。広げれば70cm程の大きさになる北海道地図だ。たぶん小学生の頃に、親父から貰ったのだろう。何故かこの地図を、進学の際にも持参した。この自転車旅に持って行く適当な北海道地図が見当たらなかった事から、この地図をあてに走る事にした。
初日は足慣らしでちょっと走るつもりだったのに、結局森町まで50kmも走ってしまった。ツーリングの初日は公園で野宿した。そこは江戸時代の終わりに、徳川家臣団が蝦夷地に上陸した地点にほど近い場所だった。前日には蝦夷共和国の本拠地、五稜郭にも立ち寄っている。そして土方歳三最期の地碑もお参りしている。蝦夷共和国万歳!
オレが野宿をするのは初めての体験だった。東屋のベンチをベッド代わりに、寝袋に包まって寝る。宿代が浮くし、まあ悪くは無いななんて思っていたのは最初だけ。オレは野宿を甘く見ていたようだ。夏の野外は虫の天国なのだ。その夜、度重なる蚊の襲撃を受け、まともに寝られなかった。テントの必要性を強く意識した。
就寝前のひととき、誰も居ない公園の東屋の屋根の下、その日どれだけ走ったかをその北海道地図に書き込んだ。この時から地図に道程を書き込む日課が始まった。その時から、ただの北海道地図が、オレの相棒になったのだ。
蝦夷が島をこの足で走る事だけが目的
オレが走った道順は地図の通りだ。黒マジックで走った道筋を書き込んでいる。単純に海岸線だけを走って斜里に帰ったんじゃ面白くない。そんな事から、海岸線から内陸まで、北海道を西から東、南から北へと縦横無尽に走破した。礼文島、利尻島も走った。約40日間、3400kmの旅になった。今思えば、渡島半島の日本海側を走っておけば、北海道最南端、最西端も制覇できたのにと、ちょっと悔やむ。まあ日本最北端と最東端には行ったから良しとしよう。
自転車の旅は、ただひたすら走る、その事が目標と云ってもいい。観光なんか二の次だ。ピークエンドの法則と云うのがあるが、旅で印象に残っている事なんて、ピークと最後ぐらいなんだそうだ。そのピークエンドの法則で云うと、オレのこの旅の場合、ピークはやはり出発した時だ。よっしゃー、北海道を走り回ってやるぞーと、意欲、エネルギーのピークはこの時だ。次のピークは、三国峠と知床峠の攻略だろう。
三国峠は10km以上ただひたすらだらだらとした登りが続く。一秒でも足を止めると自転車は止まってしまう。ただ無心にひたすら坂上を見つめ、ペダルを漕ぎ続ける数時間だった。だが知床峠の羅臼側はもっと過酷だった。傾斜がとにかくきつい。旅の終わり、1番荷物が多くなった時点に、このきつい傾斜を昇る事になってしまった。流石知床峠では、何度も立ち止まっては自転車を押し、ようやく昇り切った。ピークとエンドが重なったわけで、より印象的だ。
景色よりも、美味しい食べ物よりも、なによりも、この旅で一番印象に残っているのは、この辛くきつい峠の攻略だった。辛い氣持ちしか覚えていないのだが、これが一番忘れられない。三国峠の途中から見晴らす、遥か地平線まで広がる松林の絶景よりも、苦しかった事の方が印象深いのだ。
北海道を自転車で走り回って、この時強く思った。かって榎本武揚が希望の大地と呼んだ蝦夷が島。やはりこの島には可能性が、夢に満ち満ちていると。北海道はまだまだ素晴らしい所に出来るぞと。
まあ現実としては、ただ北海道に生まれたからこの島に住んでいるという人ばかりで、この島の素晴らしさに多くの道産子は気がついていないと思う。夕方のコンビニは溢れんばかりの車。えさ場に群がる家畜の群れを見て、強くそう思う。
本当の自由の身になれたあの夏
人は幼児期に保育所に入れられてからと云うもの、常に何かに所属する事になる。学校、企業、住み家、その他諸々、それら全ては人という存在を社会に囲い込む目には見えない檻だ。たったひと夏の短い日数だったが、この時オレは何ものにも所属しない、本当に自由な存在としてただひたすら自転車を漕いでいた。幼児の時以来の24年ぶりの本当の自由だ。
何処に向かうか、何処で食べるか、何処で寝るか、すべてその場その場の思いつき。明るくなれば起きて、暗くなれば寝る。だから時計も必要じゃない。曜日の感覚もない。起きたら走って、腹減ったら食って、面白いものを見つけたら立ち止まり、夜になれば寝る。オレに命令するものは誰も居ない。オレを支配するのはオレだけ。この時本当の自由をオレは満喫した。
その時オレと一緒に走った北海道地図は、ボロボロに崩れてしまった。そんな地図を見ていると、150年前に榎本武揚達が作ろうとした、自由と理想の蝦夷共和国の姿が重なって見える。狂気のテロリストの支配は今も続く。
蝦夷共和国万歳! この島は理想の島だったんだ。
ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ