汚れたままの窓ガラス 愛犬カーシャの思い出4
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1年以上掃除していないベランダの窓ガラス
我が家のベランダの窓ガラスは汚れたままにしてある。一昨年の大晦日に掃除したきりで、それ以来1度も窓拭きをしていない。
なので白っぽい汚れが、まるで前衛芸術のように縦横無尽付着している。そのほとんどをつけた者は、虹の橋を渡ってあちらに行ってしまった。そう、その汚れのほとんどはカーシャがつけたものだ。
カーシャは外を眺めるのが好きだった。誰かが車で家の前を通りかかると、きりっとした目を見張りその車の行く末を見守る。その車が方向転換して我が家の敷地に入ろうものなら、一生懸命に吠えたてる。
それ以外にも、大好きな爺ちゃんが外を散歩しているのを見かけようものなら、やはり大声で吠えたてる。呼ぶと爺ちゃんが来るのだ。そしておやつを貰えるのだ。
そんな事で、家の外に何か異変が起きるとカーシャが吠えたてる。その度にベランダの窓に唾しぶきが飛び散り、ガラスが汚れる訳だ。
カーシャの鼻汁
それだけじゃない。カーシャはそんな誰かが家の敷地内に進入しようとしている時には、じーっとその対象物を見つめる。その際に犬のあのしめった冷たい鼻をガラスにくっつけて推移を見守る。なにも鼻をガラスに密着させなくたって良いのにと思うのだが、それがカーシャの流儀なのだ。対象物が動けばカーシャの鼻も動く。なのでガラスに筋状に汚れが付着する。まるで窓を相手に習字でもしているようだ。
カーシャの生きた証
ベランダのガラスはそうしたカーシャの生きた証が印されている。これはまるで前衛芸術品のようだ。2カ月でカーシャが居なくなって丸1年になる。汚れが気にはなるのだが、なんだか消してしまうのが寂しくて手を付けられないでいる。
日々も昼食を摂りながら、そんな窓の汚れを眺めている。そんな汚れを見ていると、カーシャが吠え立てている姿が目に浮かんでくる。ガラスの汚れはカーシャの生きた証。そんな汚れすら愛おしく感じてくる。
よくよく思い出してみると、去年の4月はこの窓ガラスはもっと汚かった。バン・ヘイレンのギターのように、白い汚れの筋が縦横無尽に走っていたのだ。汚れもそのままだと劣化して、消えて行くんだね。
4月の命日が過ぎるまで、この汚れはそのままにしておこうと思う。もう新しい前衛的な線は書き足される事はないのだ。
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