戦う相手は狂気の長州テロリスト達 それが新選組が最強武装集団No.1になった理由
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最強の武装集団新撰組と云われる事への違和感
先日プロファイルというTV番組で新撰組の近藤勇が取り上げられていた。岡田なにがしというタレントと、不要な笑えないお笑いタレントなんかが、近藤勇と新撰組についてあれこれ語っている内容だった。
題材が新撰組なのでついついて見てしまったが、見ていてずーっと、ずーっと違和感を感じていた。それは新撰組について語っている話を聞くときに、必ずオレが抱く何とも言えない不快感、違和感。
やはりこの番組でも新撰組の、その厳し過ぎる隊規について取り上げられていた。ご法度を犯せば即死罪。実際に死んだ隊士の死因を明らかにすると、圧倒的に切腹、粛清が多いという。『何故新撰組はそれほど、激しく厳しい組織だったのか?』、について何の知識にもならない、飲み屋のオヤジのざれ言レベルの解釈を垂れ流していて興ざめだった。こんな内容で受信料を取るなよ。
何故新撰組の隊規はそこまで厳しかったのか
彼らは何故それほどまでに厳しい掟を隊内に課していたのか? オレが思うにそれはただ一つだろう。「悪と戦うには、自らも悪に染まらねばらない」という事だよ。
新撰組は京の治安維持、警備の為に組織された。警備と云うが、彼らが担っていたのは今の警備保障会社レベルの話じゃない。正に軍事行動をしていたのだ。何故なら彼らが対峙していたのは、長州藩という「テロ組織」だったからだ。
新選組が戦っていたのはキチガイ長州テロリスト
死をも恐れぬキチガイ・長州テロリストが京を跋扈し、町に火をつけ、無闇に無辜の人を暗殺し、破壊し、それどころか天皇の誘拐すらも企んでいたのだ。そんな「恐ろしいテロリスト」が我が物顔でのさばっている京都。そんな恐ろしい戦場に赴くのに、ピクニック気分の「農民から武士になった\わーい/!」なんて奴らで戦えるわけないだろ 。
今で云うならイスラム自爆テロリストの様な、キチガイ武士もどきを相手するのに、江戸時代の、のほほ〜んとした武士風情で戦えるわけがないだろう。
常に死を意識した、キチガイですら恐れずに立ち向かう戦闘集団でなければ対処できるわけがない。そんな戦闘集団を作り上げるのには、生半可な規律じゃ無理な話だ。だからこそ、これほど厳しい掟が必要だったんだとオレは思う。「悪と戦うには、自らも悪に染まらねばらない」。
テロリスト長州と言う存在を隠ぺいする為、殊更新撰組の恐ろしさばかりを強調する 歴史の歪曲
長州テロリストは、命知らずの、今で言う自爆テロリストと同じ存在だ。テロに失敗して死ぬ事を何とも思っていない。そんなキチガイ相手に戦う組織が、チャラチャラしてどうする! 新撰組が戦っている敵は、そういったテロリストなんだ。だから一糸乱れず、命を恐れず、長州テロリストに立ち向かわねばならない。新撰組が隊員に課した死の掟がなければ、そんな敵と戦える集団に育つわけが無い。
ところがこの手の番組はお決まりのように、いかにに新撰組が激しく厳しい組織のごとく描かれる。なら何故新撰組が対峙する、キチガイテロリストの恐ろしさ、おぞましさを描かない。敵がイカレタ恐ろしい奴だからこそ、それに対する新撰組が厳しい組織で敵対しなければならなかったというのに。ここに歴史の歪曲をオレは感じる。それが、オレが感じる違和感なんだ。
相手がいればこそ、これだけの厳しい組織がいる。悪と戦う為には、それだけ強い悪でなければならないのだ。このての番組は、新撰組の恐ろしさだけを当たり前のように強調する。まるで新撰組が悪で、狂気の集団のようじゃないか。違うだろ、戦っている相手こそ、狂気のテロリストじゃないか。
未だ日本はそのテロリストの配下にある
その後、そのテロリスト達がクーデターを起して政権をとったため、長州の事を誰もテロリストとは言えなくなった。だから未だ新撰組だけ、特殊な恐ろしい武装集団として描かれる。本当に恐ろしいのは命を失うのを全く恐れずに、テロ活動を行っていた長州の方だ。
歴史は勝者が自分に都合の良いように書き換える。だから誰も長州の事をテロリストなんて呼ばない。その言葉を言えないがために、新撰組の隊規の厳しさばかりを強調して、その相手の残虐非道さを誤魔化そうとする。
くだらないテロリスト称賛の大河ドラマばかりを放送するあの局。歴史好きの無知な盲ばかりを増やすあの放送局の罪は重い。いっその事、日本洗脳機関と改名すればいいのにとオレは思う。
未だ日本はそのテロリストの手の内にある。
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