敗戦から74年、斜里神社の境内に、旧日本軍の銃器は未だに埋められたままか?

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斜里神社前

これはつい先日亡くなった、知り合いの爺さん・Yさんから聞いた話だ。その爺さんとは、ちょっとした縁で10年近く月に一度ぐらいそのお宅にお邪魔していた。たいした用事じゃないので、たいがいはたわいのない世間話ばかりなのだが、時々Yさんは昔の斜里の思い出話しを語ってくれる。そのYさんも今は鬼籍に入られてしまい、もっといろいろと聞き出しておけば良かったと後悔している。

終戦直後の斜里で起こった出来事

これは終戦直後の事で、Yさんもまだ20歳前だったと云う。戦争が終った混乱の時期に、こんな日本の東の外れの街にもアメリカ軍がやって来るなんて噂が流れてきた。そこで、もしアメリカ軍がやって来て、銃器が見つかろうものなら、きっとひどい目に遭うだろうと誰かが言いだした。そこでアメリカ軍がやって来る前に、自主的に武装解除、処分しようと云う話になったらしい。

銃器が有ったという事は、斜里に軍が駐屯していたのだろうか? そこら辺の事情はちょっと聞き逃したのだが、ともかく拳銃どころか、突撃銃なども随分有ったという事だ。処分しようにも政府からまともな指示が無い事もあり、当時の銃器所有者は、「じゃあ武器は全部埋めてしまって、知らない振りをしよう」と言う事になったらしい。

そこで未だ若かりしYさんも手伝えと云う事で現場に呼ばれた。埋めた場所は斜里神社の境内。何人もの大人が集まり、人間が立って入れるぐらいの深い穴を掘ったらしい。そしてその穴の中に、見つかってはマズイ銃器の数々を放り込み、埋め戻したそうだ。Yさん曰く、何十挺もの銃が埋められたそうだ。

残念な事にオレは、その埋められた場所が正確に何処なのか聞いていなかった。その銃器が埋められた場所が、社殿の前なのか、今はお祭りの歌謡ショーなどが行われているステージの前の広場なのか、それとも別の場所なのか、はっきりしない。

神社の境内
銃が埋もれているのはこの広場か?

鉄砲は今も境内に埋められたまま?

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何故銃器が埋められた場所が氣になるかと云うと、Yさん曰く
「その後、その鉄砲を掘り起こして処分したなんて聞いた事が無いんだよなぁ。だから、その鉄砲は今も斜里神社に埋まっているべ。昔の話だから、皆忘れてしまったんだな。はははは」と、その話を終えたからだ。

斜里神社社殿
斜里神社社殿 それともこの社殿の周辺か?

そう、Yさんが勘違いしていなければ、今も斜里神社の境内の何処か、2m程の地中に、旧日本軍の銃器が埋もれたままになっている。ひょっとすると、秋祭りの下手くそなのど自慢大会が開かれるステージの地下にあるのかもしれない。ステージの下ならば、誰も掘り起こそうとなんて思わないだろう。調子っパズレの歌で、銃が暴発しないか心配だ。


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