40年前、斜里は湿地の町だった 湿地、オレの原風景
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原風景
今平日の昼に、TV朝日では「やすらぎの刻〜道」という連続ドラマを放送している。脚本は倉本聰で、老人が見て楽しめる番組が無いと言う憤慨から生まれたドラマの続編だ。
まだオレは老人ではないのだが、このドラマが実に味わいが深くて、面白いので毎日見ている。時々、さりげなくセリフに、倉本聰の現代社会、政治、放送業界に対する嫌みや、悲しみなど、いろんな意見をこっそりと仕込んでいる。何気ないセリフに込められた、そういう脚本家のぼやきを見つけるのもこのドラマの面白さだ。
この「やすらぎの刻〜道」に込められたテーマは、1人ひとりの人間が持つ原風景だ。倉本聰の原風景は、雄大な山に向かって伸びる田舎道らしい。それがこのドラマのモチーフとなって話が展開している。
オレの原風景は、「湿地」
倉本聰の原風景が田舎道なら、じゃあオレの原風景ってなんだろうと、ちょっとだけ考えてみた。こういう事はじっくりと考えたものは、正解じゃないとオレは思う。答えは1秒もしない内に浮かんでいた。
オレの原風景、それは「湿地」。湿地こそオレの原風景なんだな。原風景と言う言葉に相応しい景色は、湿地以外に無い。今の斜里町に住んでいる若い世代の人達には全く知らない景色だろうが、斜里は湿地の町だったのだ。
斜里と言う地名はアイヌ語の、サルとかシャルと云う言葉が日本語化されてシャリに成ったと云う。その意味はアシの生えている場所を指す。アシとは湿地に生えている植物だから、そんな植物が生えている所が乾燥地な訳が無い。そんなわけで地名から判断するに、昔の斜里の平野は、湿地が広がる地域だったんだろうと思う。
40年以上前の斜里はあちこちに湿地があった
じゃあ、オレの原風景の湿地なんだが、これはもう40年以上前のオレがまだ幼かった子どものころの話。
その頃の斜里は、まだまだ住宅地が広がっておらず、今の光陽町や朝日町、青葉町にあたる地域の多くは、まばらに住宅がある以外は野っ原ばっかりだった。今じゃそんな野っ原があれば、ゼニゲバのクソ企業が所狭しとソーラーパネルを並べるので、環境汚染、騒音汚染の原因になっている(ソーラーパネルに付随する設備は、24時間ファンが廻っており、それが低周波を発生させていてとても五月蝿い)。
そんな野っ原は春になり雪が溶けると、広大な湿地帯になってしまうのだ。斜里はもともと泥炭地で水はけの悪い土地だ。そんな土地に積もった雪が溶ければ、当然土壌に浸透なんかせずに、表面に溜まる。暗きょを工事をして、水をどんどん流すようになったのは後の話で、オレが小学校の低学年の頃までは(1977年ごろ)、春と言えば湿地の季節だったのだ。
オレの実家は1970年に立てられた。それまでは単なる野っ原だった所を、売れた所から土盛りして住宅地にして行った所だ。家を建てる場合は土盛りをするが、まだ買い手のついていない土地はそのままにされている。だからオレの実家は周辺よりちょっと小高くなる。そんなちょっと小高くなった土地を、砂利道が繋いで住宅地を形成していた。
当然春になって雪が溶ければ、宅地以外のの野っ原は、大量の水の底に沈む事になる。実家の両隣の空き地はもちろん、周囲の空き地と言う空き地は全て雪解け水に沈み、正に湿地になる。湿地の中に家が浮かんでいるようなものだ。
かって住宅地のど真ん中に巨大な湿地があった
実家の周辺だけなら、あちこちに住宅があるので、湿地はこま切れになっている。が、これぞ本当の湿地というような広がりが、そんな住宅地のど真ん中にあった。
今はB&Gの体育館、プールなどの施設が建ち並ぶ辺り一面は、もともとは単なる野っ原だった(ひょっとすると牛馬用の牧草地だったのかもしれない)。計った事が無いので正確には分からないが、数ヘクタールに相当する土地が、春になると一面の雪解け水の下に沈む。道路はそんな湿地が決壊しないように土盛りされた堤防のようだ。そんな湿地を横目に、子どものオレは湿地脇の遊歩道を歩いて学校に通っていた。
湿地と言っても、水の供給は雪だけ。なのでこの湿地は遅くても6月ぐらいには乾燥して消滅してしまう。だからこどもが湿地遊び出来るのはほんの1ヶ月程度の事だった。子どもは意味もなくこんな水たまりに入って遊びたくなる。広大な湿地が出現すると、まず何処からともなくカエルたちが現われて、あちこちで産卵する。
そんなカエルの卵をとってきてどうすると言う訳でもないのだが、子どもの本能は卵が欲しくてしょうがない。また正確な名称は分からないが、細くて薄青色のイトトンボがそんな湿地の上空を群を成して飛び回っている。もちろん子どもだから、そんな虫は捕獲したくてたまらないのだ。
そういった訳で、この時期オレを初め子供たちはこの湿地の中に踏み入り、そんな虫やカエルや卵などをとる事に夢中になっていたのだ。といって子どもの長靴は短い。いや今の北海道の標準になっているような、膝まであるような長靴なんかは当時はなかった。精々20cm程度の長さの長靴だ。そんな訳だから、長靴の中を濡らさないように細心の注意をして湿地の中を歩くのだが、そちこちにちょっとした深みがありどうしても長靴の中に水を入れてしまう。
雪解け水、しかも気温だってまだまだ10度あるかと言う知床の春。長靴に入り込んだ水は氷の様に冷たかった。だけども、いったん濡れてしまえばもう何も気にしない。そのまま平気で湿地の中をぐんぐんと歩き回るのだ。すると冷たかった靴の中の水は、次第に体温で温められ、生ぬるく感じられるようになる。
湿地遊びの後、そんな子供たちに、大きな問題が待ち受けている。長靴からズボンまでずぶ濡れで家に帰ると、間違いなく母親にこっぴどくしかられるのだ。だけども、何度叱られても、湿地が消滅するまで、子供たちは同じ事を繰り返してしまうのだった。
I miss the Village Wetland.
今ではそんな広大な野っ原なんか、今の斜里の住宅地には殆ど残っていない。その当時の野っ原にはどんどん住宅が建ち並び、オレが子どもの頃の遊び場はほとんど消え去ってしまった。数少ないそうした草地の生き残りも、今じゃ殆ど水が溜まる事が無く、オレが子どもの時に見た湿地は見る事が無くなってしまった。
こうした湿地が多種多様の昆虫、両生類などをはぐくみ、春の夜は近くから、遠くからカエルの合唱が響き渡っていた。もうわずかにしか残されていない、こうしたオレの原風景。
今、日本の地方ではどんどん過疎化が進んでいる。それはこの斜里町も同じ事で、犬と散歩をすれば、10年前では考えられないほど空家、空き地が増えたのを実感する。この町は売り地、売り家の看板だらけだ。年間に100人は確実に人口が減っていれば当たり前だろう。オレの家周辺でも、老人の一人暮らしがとても多い。たぶん10年後にはそれらの家は間違いなく空家になるだろう。
このまま衰退が進めば、きっと何十年後かには又、オレが子どもの時に見たような湿地がこの町に再出現しているだろうと思う。こんな風に人が住んでいる時代なんて、この土地の歴史の中ではたかだか200年だ。それ以外の期間はずっと湿地だったんだろう。それはこの町の地面を掘ればすぐに泥炭層が出てくる事から明らかだ。人間なんて、地球の表面に生えたカビみたいなものだ。
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