2匹のラブラドール犬の生きた証 破壊の女王カララと良い子ちゃんカーシャ
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カーシャちゃんはとても良い子だった
カーシャが亡くなって、あと2週間で3カ月になる。床のコルクマットについたカーシャの爪あと、ベランダのガラスにはカーシャの鼻の跡。
そんなカーシャの痕跡を見ていると、どうしてカーシャがここにいないんだろうと、未だに不思議に思う時がある。何処かに隠れているんじゃないかな? と。だけどもいつまで待ってもカーシャは現われない。
カーシャはとても良い子ちゃんで、家の物を齧ったり、壊したりしなかった。先代犬カララとは大違いだ。最初カーシャを受入れた時は、まだ2歳にもならない若い犬という事もあり、物を壊されるのは覚悟の上だった。ところが、カーシャはそんなそぶりさえ見せなかった。
ただ単に環境の変化に慣れずに、そういう破壊活動をしないだけだろうと思っていたが、結局カーシャは死ぬまでそういう悪戯をする事がなかった。せいぜいスリッパを振り回して何足もクタクタにしてダメにしただけだった。スリッパをだめにするなんて、物を壊すうちには入らない。
カーシャは本当に良い子ちゃんだった。それが不思議でならなかった。ただたんに先代犬がワルすぎたのか、カーシャがラブラドール犬の本分から外れていたのか?
先代犬カララは破壊の女王
それに対して先代犬のカララはとにかくヤンチャで、何でも壊す犬だった。なので5歳ぐらいになるまでは、ほんとに目の離せない犬だった。独りで家に留守番させるのが不安でしかたなかった。
カララはなんでも噛んで壊すのが好きな犬だった。服もずいぶん破られた。裾を出そうものなら、齧り付いてきてぶら下がろうとするのだ。
今でもそんなカララの生きた証が残っている。バケツの取っ手に遺された、カララの歯型。ハードカバーの本を齧り倒した跡。食卓に深く刻み込まれた、カララの爪の跡、等々。
カララが亡くなって今年で8年になるのだが、そんなカララの生きた証を見るたびに、なんだかおかしくなって吹き出してしまう。食卓の爪の跡はきっと、何か食べるものが載っていないかテーブルの上を立ち上がって覗いたのだろう。
だけどもテーブルの表面ははつるつるしているから滑る。必死に爪を立ててみたものの、つーーーっと爪はテーブルの上を滑って行く。そんなカララの行動記録が、テーブルの表面にしっかりと保存されている。
それは新婚当時の事で、買ったばかりのぴかぴかのテーブルに、深く刻まれたキズを見て驚いた。誰だ! こんなキズをつけたのは?。キズを見て犯人は直ぐに判明した。このテーブルを使い続けるのであれば、一生この爪跡とともに食事を共にするわけだ。
そんなテーブルのキズ跡は、いまではとても愛おしい文様になってしまった。妻とお茶をして、カララの思い出話に花を咲かせる。そんな時に、そっとその爪跡をなでるのだ。
カララは今オレ達が住む家には数度立ち入っただけで、1日もここで暮らす事なく亡くなってしまった。だけどもしっかりとカララの生きた証とともに生活している。
カーシャの生きた証
カーシャは良い子ちゃんだったから、そういう彼女の生きた証のようなものはほとんどない。カーシャが齧り倒したフライングディスクや、散歩時に装着したハーネスや首輪はまだ捨てずに残してある。だけどもそれらは単にカーシャに使ったものと云う感じしかしない。
だけども、コルクマットに刻まれたカーシャの走った跡、窓ガラスの鼻の跡なんかはカーシャが生きた証の様に思える。掃除をしてしまえば、処分してしまえば無くなってしまうものなのだが。なのでガラス窓は汚れたままだ。カーシャの存在を消してしまうようで、掃除する氣が起きない。
だけども考えてみれば、この家そのものがカーシャの生きた証なのかもしれない。夏の暑い夜、サンルームの窓は全開に開けっ放しにする。網戸から涼しい風が室内に吹き込む。ふとそんなサンルームの隅っこに、もういないはずのカーシャが、後ろ足を真っ直ぐに伸ばして寝そべっている姿(それをカーシャジェット体形と呼ぶ)が暗がりに見える気がする。
カーシャが生きている時、夏の夜は、サンルームにそうやって腹ばいになって、よく涼んでいたものだ。いやキツネやネコがやって来ないか夜警の勤務についていたのだ。一生懸命仕事をしているようで、その実寝ている事も結構あったのだが。
夜寝ている時に、ふとカーシャの気配を感じる時がある。もういないはずなのに、足下にカーシャが蹲っているような気がする時がある。
朝になって寝室のフローリングの床をみる。そこにはおびただしい、カーシャの爪跡が木の床に残されていた。そうだった。この部屋にはカーシャの痕跡が沢山残されていたのだ。
寝室はオレが床材を施工してフローリングに変えた部屋だ。キズ一つないフローリングの床だったのだが、カーシャが来てから直ぐに爪のキズが付き出した。レッドパインは、犬の爪にはちょうど良い軟らかさだったのだろう。カーシャが寝室を歩く度に爪跡がつく。
当初ぴかぴだった床はカーシャの爪跡で、だんだんとその輝きが薄れていった。だけども今じゃおびただしい爪跡で埋め尽くされた床は、逆にぼーっと鈍く輝きはじめたのだった。
もう居ないはずのカーシャが、今でもこの家いる気配を時々感じる。この家そのものが、カーシャの生きた証なのかもしれない。
写真の中の笑顔のカーシャを見て、どうしてカーシャがここにいないのだろう? 時々そんな風に思う時が、未だにある。
ところでオレが生きた証なんて、いったい何があるのだろうか?
ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ