今も斜里町内に残る駅逓所跡その1 越川駅逓所跡
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開拓時代、道内各所に設けられた駅逓所
道内各地には駅逓所跡なる石碑や記念碑が、道路縁にひっそりと建っている。駅と付くものの、これは鉄道駅の跡じゃない。駅逓所とはまだ鉄道なんか敷設される前の、北海道開拓時代にできた施設だ。簡単にいえば馬車の為の駅の事だ。
といってただの駅ではなく、馬や人間の休憩場所、宿泊所、そして郵便局の機能もあったそうだ。人も少なく、交通の不便な当時の北海道の事を考えると、とても大切な施設だという事が判る。
100年前にはとても大事な施設だったが、今じゃもうその痕跡がわずかに残るだけになっている。建物が残っているなんて云うのは、奇跡に近い。今のこっている駅逓所跡の殆どは、石碑がぽつんと建っているだけだ。
斜里町周辺にもそんな駅逓所跡が数ヶ所残っている。その一つが越川駅逓所跡。
越川駅逓所跡
アマチュアカメラマンの父親の写真を整理していたら、旧越川駅逓所の建物写真が出てきた。建物といっても、いつ崩れてもおかしくはない廃墟だ。オレが20年前に斜里町帰ってきた時には、柱が傾き屋根も殆ど落ちかかった状態だった事は覚えている。
この写真だとまだ屋根が落ちていないから、今から30年以上前の姿ではないだろうか。オヤジにいつ撮影したのか聞いても、昔過ぎてよく覚えていないという。建物左側の崩れかけた部分は、ひょっとすると馬の休憩場だろうか? なんて往時を創造してみる。この越川駅逓所は廃止された後、Hさん宅として使用されていたので、単なる物置だったのかも知れない。
その建物がただの廃墟ではなく、越川駅逓所だったと知ることが出来るのは、建物の横に石碑があるからだ。それがなければ、単なる崩壊した民家にしか見えない。石碑は昭和43年に建立されている。
今現在の越川駅逓所跡
そんな越川駅逓所の廃墟も、いつの間にか撤去されてしまっていた。今現在跡地がどうなっているかを見に、記憶を頼りに道を走る。道路脇に記念碑が建っているから直ぐに見つかると思いきや、その石碑が見当たらない。
それもそのはず、越川駅逓所跡に立てられた石碑は、いまでは3m程の高さに生育したオオイタドリにすっかり隠されていた。よほど注意しなければ、そこに石碑がある事すら判らない。
石碑が建っている場所は越川の集落から、標津方面に南下すること約5kmの地点にある。探そうという目で見なければ、そこに碑があることすら見逃してしまうだろう。オオイタドリが邪魔で、記念碑を正面から見ることも出来ない。
そして25年前には崩れた廃墟があった場所は、今ではすっかりきれいに整地されていた。かつて建物があった場所は、農機が畑に入る為のスペースになってしまっている。
この越川の駅逓所については、とても詳細に調査されている方の文章をみつけたので、詳細についてはこちらを参照してほしい。地元民の多くが全く知らない歴史的事実が実に詳細に書かれている。北海道応援のブログの管理人さんに感謝です。
ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ