今も残る旧国鉄・根北線の痕跡 1970年に廃線

今も残る廃線になった鉄道の跡

数少ない旧国鉄根北線の痕跡

犬と散歩していてここを通り過ぎるたびに、ついついこのコンクリートの遺物をしげしげと眺めてしまう。オレが子供の時は、まだこの上に鉄橋が架かっていた。北海道の旧国鉄・根北線の跡だ。1970年に廃線になった鉄道。今も残る数少ない痕跡がこの橋台なんだ。

数少ない旧国鉄根北線の痕跡
数少ない旧国鉄根北線の痕跡

根北線 – Wikipedia

大正時代より斜里村では 森林開発や 入植地の拡大、農産物の輸送を目的に根北線での経路の鉄道建設を国、北海道に求めてきた。 1922年(大正11年)に、改正 鉄道敷設法別表149号に「根室國厚床付近ヨリ標津ヲ經テ北見國斜里ニ至ル鐡道」として盛り込まれた(標津線 厚床 – 中標津 – 根室標津間を含む)が、 1937年(昭和12年)にようやく帝国議会で建設費が認められた。これは 1931年(昭和6年)の 満州事変以来の緊張を受け ソビエト連邦との戦争の可能性もあったことから、 国防の観点から建設が認められたものである。工事は 1938年(昭和13年)に着工され、斜里から越川までの第一工区が完成し、 1939年(昭和14年)には第二工区の 越川橋梁(第一幾品川橋梁)が完成するなどしていたが、 太平洋戦争の開戦により物資が欠乏し 1941年(昭和16年)に建設が中断され、敷設されていた線路も取り外された。この時期までに着工していた区間には諸説あるが、 国土地理院地図・空中写真閲覧サービスで閲覧可能な 米軍の 空中写真 では根北峠を越えて瑠辺斯に至ろうとした形跡が見られる。

北根線 たった13年間の営業

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根北線は1957年に開通して、1970年12月1日に廃線になった。根北の根は根室、北はもちろん北見。残念というか当然というか、根室まで線路が延長される事は無く、斜里町郊外の畑作地帯、越川までしか鉄路は延びる事が無かった。たった13年の短い営業期間だった。

50年前に根北線の線路があったところ

上の写真は、かつての線路跡。手前から奥へ向かって、この広間を縦断する形で線路が通っていた。オレが子供のころは、線路が盛り土されていたので、ここは少し小高くなっていた。現在は削られて殆ど平坦になっているが、今でも微かに小高い。

50年前に根北線の踏み切りがあったところ

犬のいる辺りが、踏み切りがあったところ。根北線最後の汽車が来るというので、母親に連れられて最終汽車を見に行った記憶がある。車両の先頭に日の丸が交差して付けられていたのが、今でも忘れられない。

廃線後しばらく線路がそのままになっていた。オレが小学校の低学年の頃、この線路を歩けば何処に行くのだろうと、ひたすら歩いた事があった。行けども行けども草ぼうぼうの線路。人気の無い原野のような地域(実は国道沿いで、現在は住宅地になっている)を歩いていると、疲れてきたのと、あまりにも寂しくなってきたので、怖くなって引き返した事がある。せいぜい1kmも歩いていなかったと思う。

それから15年後に見た映画「Stand by me」で、少年たちが鉄路を歩くシーンを見た時に、廃線路を歩いた記憶が蘇り、なんだか物凄く懐かしく感じて涙が出た事があった。

残されたこの線路は、1975〜77年ごろの間だったと思うがに完全に撤去された。20年前まで残されていた以久科駅も撤去され畑になり、ここにかつて鉄路が有った痕跡はもう殆ど残されていない。

リンク:以久科駅 ウィキペディア


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