スケートにまつわる、とても辛い冬の思い出 スケート、マイナス10度の酷寒に耐える拷問
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北海道出身者は全員スキーが上手なわけじゃない
東京に住んでいた約10年の話なんだけども、オレが北海道出身だと分かると、「じゃあ、スキー上手なんでしょ?」。とよく聞かれた。当時(バブル経済まっただ中)はちょっとしたスキーブームだった。猫も杓子もスキー。千葉県の船橋に屋内スキー場が作られるぐらいの、そんな時代だった。
で、「いや、スキーは殆ど滑れない」と正直に答える。すると、坂本龍馬は実は維新の英雄どころか単なる外国金融資本家のスパイだという化けの皮が剥がされたぐらいに、驚かれたものだった。
そう、オレはスキーは滑れない。10歳ぐらいまで親に連れられて数度滑った事がある。だからボーゲン止まり。それ以外は滑った事が無い。北海道なのにスキーを滑った事が無いなんて、よっぽどの運動嫌い、文系人と思われる(いや、その通りだが)。
だが一寸考えて見てくれ。スキーを滑るにはスキー場が必要だ。北海道は山ばかりじゃないのだよ。そんなに山ばかりだったら、どこで農業をやる? 美瑛のキレイな畑なんか作れないじゃないか。それに人が最も多く住む所は平地なんだ。
街中に山があって、家を出て数分でスキーが滑られるなんて場所はほとんどない。東京の人だって、何時間も時間をかけてスキー場に行くじゃないか。
子どもの時からスキー三昧の子供なんて、山に隣接した僻地の学校か、親がスキーが好きで、子ども連れでゲレンデに行くような家庭だけだ。
といって、30代から住んでいた家は、玄関を出たら即クロスカントリースキーが滑られる世界(畑作地帯)だったので、その頃は犬の散歩の時にクロカンスキーを足に履いて、雪原(夏は畑)を自在に滑り歩いていた。だから歩くスキーレベルなら滑られる。
スキーは滑られないが、スケートは滑られる
その代わりオレはアイススケートは滑られる。大学時代にもし後楽園なんかに誘われちゃったら、みんなの注目を浴びてしまうだろう。腰を低く落とし、上体をリンクと平行になるくらいに前に倒して腕を前後に激しく振って滑走するように滑るのだ。
いや場違いな本格的なスピードスケートの滑りに、呆れられるに違いない。そうオレのスケートスタイルは、スピード競技のスケートなのだ。
北海道東部の平地の学校では(札幌だとか南部の事は知らん)、小学校の冬のスポーツと言えばスケートのみ。オレも7歳の時に無理やりスケート靴を履かされて、リンクに立たされた。
初めてスケート靴を履かされてリンクに立っても、ちゃんと立つなんて無理だ。なんといっても厚さ数ミリの鉄の刃の上に立たなければならないのだ。足腰が馴れていなければ、靴を履いた足はハの字にへたれて、刃で立つよりはスケート靴の側面で何とか立ち上がっている状態になる。
それにスケート靴はきっちりと足に縛りつけないと滑られない。もちろんスケートリンクは屋外の天然の気温を使って氷結されたもの。そうすると足は痛いし、おまけに氷点下5度以下の低気温は、薄い革の靴なんか素通しで、子供にとってそれだけでもかなりの苦痛だった。何だが拷問を受けているような気分になった
そんな状態からはじめたスケートだが、小学校2年生ぐらいになれば、オレみたいな運動嫌いもそこそこ滑られるようになる。で、その頃から、「放課後はリンク30周回ってから家に帰るべし」、という担任からの過酷なお達しが言い渡される。
北海道のスケートは虎の穴の特訓のようだ。これは拷問だ!
氷点下5度°。いや午後2時過ぎの真冬の北海道は氷点下10°を下回るなんて当たり前だ。そんな極限状態の中、吹雪でもなければ毎日校庭に水を播いて作った1周200m程のリンクを滑らされるのだ。
その時期は昼時間の短い季節なので、早くタスクをこなさないと、あっという間に日暮れてくる。オレンジ色に染まる空を見ながら、あと10周! なんて自分を励ましながら滑っていたよ。ああ、今思い出しても切ない。辛い。鼻水、涙が出る。でも出たら直ぐに凍れる。
足は痛いし、鼻水が出ても感覚はないので垂れっ放しで、きっと泣きそうな顔をして滑っていたに違いない。もちろんこの時期の体育の授業もスケート。これでスケートが好きになる奴は、きっと異常人格者だとオレは思う。だから有名スケート選手上がりの政治家にロクな奴がいない。
そんな訳で、オレみたいな体育嫌いですら小・中学校と9年間もスケートを滑らされたので、スピードスケートが滑られる。こないだ金メダルを取ったあんな選手もきっとこんな風に競技を始めたに違いない。そういう才能のないオレは、あんな風に綺麗には滑られないが、スケートを滑るとは上体を低く折り曲げたカッコで滑るものなのだ。
滑り終わっり脱いだスケート靴の刃に唾を垂らすと、瞬時に凍ってしまう。下手に濡れた手でスケートの刃を触ろうものなら、指が凍れてぺったりと張り付くことがある。無理に剥がすと指の皮が剥がれてしまうぞ。そんな極低温下でよくもまあ9年間も滑っていたと思う。ある意味虐待だと思うのだが。
そんな苦行を苦行とも思わないごく一部の稀な人が、オリンピックみたいな競技の代表に選ばれているわけだよ。今日も地元の中学校のリンクの外周では、40年前のオレみたいな、ペンギンのよちよち歩きスケーティングをしている小学生が滑っている。リンクの内周では上級者が、魔法のように凄いスピードで音もなく滑走している。
オリンピック選手の選手は数千人に1人の選びに選ばれたエリート
各中学校にえらく上手に滑る生徒が学年に数人いて、そんな奴が帯広や釧路なんかのスケートの強豪校に進学する。すると、そこにはもっと才能の有る選手なんかがいて、そんな本当に数千人に1人の優秀な選手がオリンピック代表に選出されたりするわけだよ。オレの同級生にもすごく速く滑る生徒がいたが、そんな奴でもそういう高校に行くと箸にも棒にも引っかからなかった。
あと、親が企業の経営者のバカボン息子は、10万円もするバイキングだかバカキングとか云う馬鹿高いスケート靴を履いて自慢していた。誰が見たって端から才能がないのに、金があるもんだからそんな靴を買ってもらって同級生に自慢していた。
金があれば誰だって買えるものを買ってもらい、そんなものを持った自分が偉いんだ勘違いして自慢する奴はバカだと、この時オレは学んだ。
高い靴を履いて自分に才能があると勘違いした奴は、スケートの有名私立校に進学してしまった。そんな高校じゃ能力のない奴らは、同級生のパシリにさせられてしまう。そんな恥ずかしい話は地元には伝わっていないと思っているのは本人だけ。口にしないだけで、同級生はみんな知っている。今は親の後を継いで社長になんかなっちゃって、えらそうにしているけど、奴は高校時代に同級生達に命令されて購買にパンを買いに行かされていた。
そんな訳で、この時期TVに出ているスケート選手は、そうしたバカキングやオレみたいな下手ッぴも含めた数千人の中から選び抜かれたエリートな訳だよ。彼、彼女達の並々ならぬ努力は、オレも少しだけ分かると言っても良いかな。
毎年厳冬期に入り、日中でも最高気温が氷点下の日が続くと、子供時代の辛かったスケートの事が思い出される。きつく紐で縛りつけられ、そして冷えきって感覚の無くなった足を、スケート靴から抜いた瞬間の解放感は今でも忘れられない。
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