亡くなった愛犬の思い出 「1匹の犬のやらかした事は、みな未来の笑顔の種になった」
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5月1日は亡くなった愛犬の誕生日
5月1日は先代犬のカララの誕生日だ。カララが亡くなって今年で7年になる。12歳半の犬生だっが、その間いろんな思い出を贈ってくれた。未だに事あるごとにカララを思い出す。が、やはり誕生日と命日は特に強くカララの事を思い起こすのだ。
カララが我が家にやって来たのは、2001年の6月。カララは生後2ヶ月だった。もう20年も前の事になる。いつの間にそんなに時が流れたのだろう。
カララが来て楽しく喜ばしく思ったのはほんの数日だけで、それ以降は、あれや、これや、いろいろやらかしてくれるので、ストレスと落胆と怒りの日々が数年続いた。その当時はこんな日々がいつまでも続くのだろうか? と思っていた。若いラブラドール犬はとにかく活動的で、実は一緒に暮らすのにはとても覚悟のいる犬なのだ。
カララのやらかした事の、ほんの数例
カララはホント、活発で悪戯好きで、頭の良い犬だった。なのでいろんな事をやらかして、オレは本当に日々困ったものだった。
ここでカララのやらかした事を一寸あげてみようと思う。
・分別していたプラスチックゴミの袋を「食い散らかした」。翌日プラスチックの白いウンコをひねり出した。今でも冷や汗が出る。
・フロアリングの床を掘って、直径20cm程の穴をあけた。穴から覗く床下の砂地が今でも目に思い浮かぶ。
・買い物でほんの1時間家を空けたところ、玄関の高いところにおいて置いた(カララの手の届かないところと思って)鉢植えのラベンダーを引きずり落とし、玄関から居間まで引きずり倒され、噛み倒されて、クタクタにされて無残な姿を曝していた。
・畑にまこうと思って置いておいた鶏糞を食べまくった。その日の夜全身にじん麻疹がでた。
・洗って干しておいた日本酒の一升瓶を流しから落として割り、床中に沢山の血痕を付けまくった事。いくらカララを調べても、何処を切ったのか結局分からなかった。
・留守番させて帰宅してみると、食糞したらしく、それを床の上に吐いていた事。
・友達が犬を連れて遊びに来て、オレがその犬を撫でていたら、わざわざソファーの上にあがってその上でおしっこをした。
・冬、雪の上で自由に遊ばせると、決まってキツネのおしっこの跡に鼻面を突っ込み、キツネのオシッコ臭をプンプンさせて帰ってくる。
・本でも、リモコンでも、バケツでも、何でも噛めるものは噛み倒した。いまだにカララの歯形のついたバケツを使っている。それを見る度カララの事を思い出す。
カララのやらかした事は、あげて行けば切りが無い。その時はとても困ったし、激しく怒った事も覚えている。だけども、それらの事全てが、今になって思い返してみると良い思い出になっている。
カララは沢山の思い出を残してこの世を去って行った
今でも食後のだんらん時に、妻との間でカララのやらかした事が話題になる。そう、沢山の笑顔をカララは残してこの世を去って行ったのだ。カララが深い爪痕を残した(しかも新品の時に付けた)食卓のキズを撫でながら、そんな思い出ばなしに花を咲かせられるのもカララのおかげ。
だから今、犬が何かをやらかしたとしても、大目に見てあげて欲しいのだ。それらの事全ては、何時の日か楽しい思い出になってゆく。そりゃあ何かを壊されたら腹も立つだろう。だがゴータマ・ブッダだって、臨終の言葉でこう言っているじゃないか。
「作られたものはみな移ろい行くものだ」と。
なので、犬のやらかした事は、みな未来の笑顔の種なのだ。モノなんか何時か必ず壊れる。だから大目に見てあげて欲しい。これは自分にも向けて言っている言葉でもあるのだ。
ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ