人気(ひとけ)の無いわが街、斜里町市街地 この40年で地方の衰退はどんどん進む
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この街は静か過ぎる
「この街は静か過ぎる、というのは、何か事件が起きる前のセリフだ」と云ったのはオレが敬愛する、半村良さんの小説の中の一節。
我が家にはカーシャというラブラドール犬が居るので、朝晩の散歩が欠かせない。いつもの事なので全く意識にあがっていなかったのだが、ふとした瞬間に子供時代を思い出して、通りのあまりの人氣のなさに驚くのだ。そんな時に半村良氏の言葉が頭をよぎる。
そうだ、朝の散歩で言えば、オレが子供の頃なら7時台といえば、小学生から高校生まで、歩道はたくさんの生徒が歩いていたものだった。楽しそうに、黙々と、子供たちが同じ方向に向かって歩いている。オレもその中の1人だった。学校に行き着くまでに誰も遭遇しないなんてことなんか決してなかった。
ところが毎朝犬と散歩をしていると、ほとんど人と歩道で出くわすなんてことが無い。それでも週に何度か5〜6人ほどの、愛想の悪い、「おはよう」と言っても何一つ返事の返ってこない小学生集団に出くわす事がある。奴らは反応が無いので、オレも最近は一切無視している、メンコクない小学生たち。子供は小さな大人だ。そして歩いている大人なんて、ほとんど見かけなくなった。だけども、毎週バカが飲むエナジードリンクの缶や、オロナミンCの瓶は、誰が捨てていくんだ? きっちり同じ所に、同じ銘柄の瓶や缶が投げ捨てられている。
繁華街はゴーストタウン Rock this ghost town!
夕方の散歩も同じ状況だ。夕方の散歩は時間の余裕があるので、家から中学校〜小学校〜高校〜駅前を通り、街の大通りを通って帰宅するという長い散歩をしている。その間にいったいどれほどの人間に歩道ですれ違うのか? 答えは、恐ろしいくらいに少なく、せいぜい数人程度。
その数人といっても駅前のゴーストタウンを、この街には何も見るものが無いと云う事を確認するかのようにぼーっと歩いている観光客ぐらいだ。もしくは魚の加工場で働くタイや中国からの労働者達。そうそう野良猫(Stray Cats)なら、人間よりもよく遭遇する。この街をロックしているんだろう。
ホントこの街からは人氣が消えてしまった。歩行者が歩きやすいようにと歩道が拡張され、キレイに整備された街の大通り。ほとんど誰も歩いていない、すれ違う人もまばらな、そのだだっ広い歩道をオレは犬と我が物顔で歩く。犬の散歩にとってはとても快適な環境だ。
やはりオレが子供のころを思いだしてみれば、夕方のその時間は、小学から高校の生徒がたくさん歩道を歩いていた時間だった。自転車で走ろうものなら、歩行者の壁でしょっちゅう止まらなければならなかったのを思い出す。今ならスイスイだ。もちろんこれは平日に限った事じゃなくて、土曜日の午後だって同じ事だ。土曜日だって云うのにほとんど誰も歩いていない街の中心地。まるで毎日が日曜日の街のようじゃないか(田舎じゃ日曜日は商店はお休みする日。網走程度の街でも日曜日はどの店も閉まっていて人氣が無い)。
オレが子供の頃の1980年代からの40年間で、この斜里町の人口は4,000人減っている。それだけ人が減れば確かに賑わいが無くなるのは当然だろう。子供のころの賑わいを思い出しながら、見るものの無いゴーストタウンを犬と縦断する。
歩道上に人はいないが、そのかわり車は頻繁に往来している。静かな街に、車のエンジン音と、一生懸命にオレを引っ張る犬の呼吸音が響く。BGMで街に音楽を流している商店があるが、無人の町に流れる音楽は余計に寂寥感をいや増すだけだ。誰も居ない街に、機械だけが忙しく行き来する、そんなSFのデストピアがここにある。。
それにしても、「この街は静か過ぎる」。残念な事に何か事件が起きるほどこの街には人がいない。それほど本当に静かなのだ。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
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