フルーティー豆腐 東京には田舎に無いモノが売っている 20歳のオレの失敗

オレが進学のために上京したのはもう32年も前のことになる。初めての一人暮らし。そして初めての東京生活。日本の東の辺境で生まれ育ったオレには、都会の生活は毎日が新しい発見の連続だった
オレは貧乏学生だったので、食事は基本的に自炊だった。買い物に出掛けると、田舎じゃ食べたことの無い食品や商品に出くわす。食文化が日本中央と東端ではずいぶんと違うものだ。
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東京で出会った驚くべき豆腐
その頃のオレの食事の基本は、ご飯とみそ汁におかずは1品だった。みそ汁の具は大抵豆腐だった。おれは2部の学生なので、昼間は朝から夕方までアルバイト、そして夕方から夜の10時の間は大学で講義を受けるという毎日を過ごしていた。
そんな慌ただしい生活をしていたので、その日に食べようと思って買った豆腐が、結局賞味期限ぎりぎりに頂くと云う事がよくあった。さすが豆腐なんか、都会も田舎もそう変わりない。たいがい白や青色の似たようなパッケージに入って売っている。都会だからと云って、特別に変わった豆腐なんか売っていない。
フルーティー豆腐に驚く

それは東京では暑いなんてまだ云われない、6月のある日のことだった。オホーツク地方は亜寒帯みたいな所だから、東京の6月の暑さは、オホーツク人のオレにとってはもう真夏以上の暑さだった。初めて経験する暑さといっても良い。
その日は暑かった。数日前にみそ汁用に買っていた豆腐は、冷奴で食べることにした。いつも食べている1丁150円ほどの豆腐を、半分に切り皿に盛る。残りは明日のみそ汁に使おう。見かけは何の変哲のない豆腐だったが、一口食べてオレは驚いた。
口に豆腐を入れた瞬間にぱーっと、果実のような香りが広がる。見かけはいつもの豆腐なのに、何かの果実を思わせる華やかな香りが口に広がる。普通のありふれた木綿豆腐なのに、食べるととてもフルーティーな香りがするのだ。これには驚いた。
何かの間違いじゃないかと思い、もう一口食べてみる。やはりフルーティーな香りがする。豆腐のパッケージを、改めて確認してみるけれども、極普通の木綿豆腐だった。「果実の香り」なんて一言も書いていない。どこにでもある青いプラ容器に入った、極く普通の豆腐だ。原材料は大豆とにがりのみ。果汁なんて言葉はどこにも無い。いつもの豆腐を買ったつもりが、どうやらオレはフルーティー豆腐を買ってしまったらしい。
東京ではこんなおしゃれな豆腐がある事にオレは驚いた。都会と云っても新小岩のような地域のスーパーマーケットなのに、こんなおしゃれな豆腐が売っている。東京ってやっぱり凄いところなんだなぁ、とその時改めて感心した。
フルーティーな香りのする豆腐。例えるなら小学生の頃に飲んだ、フルーツ牛乳を思い出させる香り。侘びしい3畳2間をL字方にくっつけた変な間取りのボロアパートで、その時オレは何だか一寸だけ幸せな食事時間を過ごしたのだ。斜里みたいな田舎じゃ、まだ誰も知らない豆腐を今オレは食べているんだ。ちょっとだけ都会者になったような氣持ちになった。
異変
それから数時間後、腕が妙に痒いことに氣がついた。いやそれどころか、足の太ももの内側、脇腹など、体の皮膚の軟らかいところが次々と痒くなってゆく。
服を脱いでその部分を見ると、赤く小さな発疹が沢山出ている。蕁麻疹だった。腕、足、腹の軟らかい皮膚に無数の発疹が出ている。掻けば掻くほどどんどんと痒くなる。その日の夜は痒みのために、ろくに寝る事が出来なかった。
翌日寝不足でも、何時も通りにアルバイト先に出勤した。アルバイト仲間に、昨日食べたフルーティー豆腐について興奮気味に話す。ところが誰もそんなものは食べたことが無いと云う。アルバイト仲間の1人がぼそっと「それ、腐ってたんじゃないの?」と呟いた。「さっき、蕁麻疹で寝不足だって云ってたよね? それって腐った豆腐を食べて出た湿疹じゃないの?」
「いや、あの豆腐は腐った味じゃなかった。果物みたいな香りだったんだ」
「腐る1歩手前の匂いが、フルーティーな香りに思えたんだよ。きっと」
そう、あの日の夕食に食べた豆腐、フルーティーな香りの豆腐。あれはフルーティーな香りがついた豆腐では無くて、ただ単に傷みかけた豆腐だったんだ。傷みかけた豆腐が腐敗臭を発する1歩手前の香りが、フルーティーに感じられたんだ。たまたまオレが、その奇跡的なタイミングで食べただけの事。フルーティーな香りの豆腐なんて、いくら東京でも存在はしない。
その日の夜、念のため昨日の残りの豆腐を調べてみた。保存容器から取り出した時点で糸を引いていた。そういや昨日も豆腐が漬かっている水は、妙にとろみがついていたことを思い出した。
ここまで読んで頂きありがとうございました。記事をシェアしていただけたら有難いです。 東倉カララ