薪は燃やす財産 薪ストーブを使う2、3の事柄
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薪ストーブを炊くには、薪を用意せねばならない
12月に入り、日中の最高気温がマイナスというのが珍しくなくなった。そんな寒いさなか、知人から「畑の脇の木を切っているから欲しいか?」言われた。なぜこんな時期に伐採するかというと、畑の周りの邪魔な木などは、畑作業の終わった初冬から冬にかけてが、切るには最適の時期なのだ。
我が家ではもう20年以上、薪で暖をとっている。なので薪材を貰えるのなら、もうどんなに寒くても喜んでもらいに行くのだ。自分で山を持っていないものとしては、薪材は買うか、貰うか2つに1つ。チャーンスを逃すと、次に何時そんな声がかかるか判らないのだ。なので忙しかろうが、寒かろうが、とにかく頂きに参上する。
薪材といっても、もちろん小割りした、あとは燃すだけの薪のことでは無い。切ったままの木が、畑にどーんと横たわっているのが当たり前だ。その太い木を、まずは邪魔な枝を払うところから作業が始まる。作業の相棒は最近ようやっとなれてきたエンジンチェンソー。吐く息とチェンソーのエンジンから排出されるガスが白い。革手袋をしていても手がかじかむ。
細い木なら2m程の長さに、一人で抱えられないほどの太い木なら50cm程度の長さに切って行く。切り終われば、あとは軽トラに積んで自宅まで運ぶだけだ。今回は4本ほどの木を頂けたので、軽トラ満載で6台分の薪材になった。
ひたすら切っては運ぶ。この作業は正直疲れる。日曜日に行おうものなら、翌月曜日は体の使いすぎで、午後から頭痛を起して寝込むことがしょっちゅうだ。妻は、月曜日はあたしが寝込む日と諦めているくらいだ。なぜそんなに苦労してまで薪ストーブにこだわるのだろう? とこの文章を読んだ人は思うだろう。
なぜ手間のかかる薪ストーブを使うのか
あたしは別に薪ストーブに強くこだわっているわけじゃない。エコだからとか言う気もない。確かに石油ストーブを使えば、こんな苦労をせずに部屋を暖められる。とっても簡単で快適だ。薪作りの時間を、それ以外のなにか趣味なんかに充てられるので、生活ももっと充実するのかもしれない。もう若くはないので、こんなに疲れ果てることもない。
なのになぜ薪を作り、薪ストーブを炊くかというと、その過程すべてが楽しいのだ。「木があるから持ってってくれないか?」 この一言を聞いたときから楽しくてしょうがなくなる。そして太い木を、へたくそなチェンソーワークで切ってゆく、玉切りにする、そして小割りして薪にする。決して楽じゃない、その過程すべてが楽しくて仕方がない。楽しいといっても、重労働には変わりないが。それでも苦役じゃないのだ。だから20年以上こんなことを続ける事ができるのだ。
そんなことで、決して楽じゃない薪ストーブ。でもその過程すべてが嫌じゃないのだ。薪作りから、ストーブのメンテナンス(円筒掃除等)すべてが手作業。すべての工程を自分でコントロールしなければ成らない。スイッチポンで暖まるストーブとは、手間のかかり具合が段違いなのだ。
何故こんなことが楽しいと思えるのか? 自分でもどうしてかわからない。けれども自分の家を暖めるということは、自分の体を使ってこうすることなのだと思っている。ただお金を払って灯油を買うことが、家を暖めることじゃないのだと。これは考える以前にもう当たり前のことで、こうすることが冬を快適にすごす生き方なんだ! と思っている。
自分の手で作り上げた財産を豪快に燃やし尽くす!
人間の生老病死のすべてを、金に変えてしまうシステムの中であたし達は日々生きている。何かを食べれば誰かがもうかる。それが毒みたいな食物で、その結果病気になればさらに誰かがもうかる。その病気が長引いて、寝たきりになればやはり誰かがもうかる。生きても、死んでも誰かの金に等価交換されてしまうのが、この現代社会だ。この星は半村良さんが「妖星伝」で書いた通り、命が命を喰いあう地獄の星なのだ。おっと脱線した。
そんな社会の中で、なんでも金のシステムから少しでも外れて生きられることは、本当の人間性を取り戻す、人間らしい生活なのだと思っている。不自由なこの社会に生きるものが、自分の力で少しでも自由への扉をこじ開けられる(気がする)数少ない行為。それが薪ストーブを使う事が楽しくて仕方がない理由なのかもしれない。
常にわが家の壁の周りには、乾燥させるための薪が積み上げられている。その量が増えれば増えるほど、あたしはにっこりとするのだ。そう、これはわが家の財産なのだ。一生懸命薪材をあつめ、薪にしてゆけばわが家の財産が増えるのだ。お金のような虚構の財産(お金は物に交換して初めて価値を生むもの。お金は目的じゃなく、ただの手段にしか過ぎない。そこに本質はない、ただの交換媒体に過ぎない)ではなく、自分の手で作りだせる本物の財産なのだ。
そして薪ストーブの何が素晴らしいかというと、その自分の手で作り上げた財産を、景気よく燃やしてしまう事にあるのだ。わっはっは。毎日毎日豪快に、わが家では財産を燃やして灰にしているのだ。これほどの贅沢が他にあるだろうか?
そしてその財産が無くなれば、また自分の手で作ればいいのだ。気分は錬金術師。それが薪ストーブを使う楽しみなのだ。
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