知床博物館裏の公園は、80年前は墓地だった?
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カーシャの好きな知床博物館裏の公園地域
カーシャの大好きな散歩コースがある。それは知床博物館の裏庭の公園地域だ。斜里役場の裏と博物館に挟まれた場所なんだけども、津軽藩士の殉難慰霊碑等もあって公園だと思うのだが、正式には何て云うんだろう?
散歩でその公園に行く時は、役場庁舎の裏手から北に向かって延びる遊歩道を進んで、公園内に入り込む。真っ直ぐ突き当たりまで進むと、知床博物館の裏庭を見下ろす坂になる。そこからオホーツク海までは遮るような高い建物がないので、非常に見晴らしが良い。右手には知床博物館があり、その頭上はるか先には知床半島が、晴れていればよく見える場所だ。
この公園は、休日でもそんなにひとけが無く、たいがいの時はカーシャのリードを外して、自由に歩かせている。そうするとカーシャは、色々な匂いがするのか、オレの数メートル先を右に左に、あちこち自由に匂いを嗅ぎながら駆け回る。歩道脇の斜面を駆け上がったり、薮に入ろうとしたり、カーシャにはちょっとした探検気分なんだろう。犬も自由が大好きだ。なのでこの散歩コースに向かうと、とても興奮してくるのがよくわかる。
この公園は80年前は墓地
そんなカーシャの大好きなこの散歩コースなのだが、博物館の裏の坂は80年ほど前までは墓地であったと聞いた。以前に知り合いのYさんの話を書いたけれども、これもYさんから聞いた話だ。
Yさんによると、この斜面は戦争前だか、戦後だかまでは墓地として使われていた。オレの聞き違え、Yさんの勘違いでなければ、まさにこの斜面は墓地だったそうだ。墓地が斜面にあったとと云うのもちょっと変だが。その後町営霊園が海沿いに整備されたときに、Yさんがこの斜面にある墓の移転作業を手伝ったそうだ。墓石をどけて、骨を掘り起こすといった作業をしたとYさんはオレに語った。
今じゃその斜面は、ハマナスやら、海浜植物やら、クマイザザやらが生い茂る自然放置の斜面なのだが、70〜80年前には墓石が林立していたと云うのが信じられない。
実はオレはこの辺りがちょっと変な地域だと云う事は知っていた。もう40年前の事だ。知床博物館が開館したのが1978年。その頃からオレはよく、博物館の講座に顔を出していた。講座の帰りは博物館から斜里役場の庁舎の裏手に至る森の中の遊歩道を歩いて帰ったものだ。とくに夜はわざとに。
卒塔婆と朽ちた墓石が放置されていた
森だから暗いのは当たり前だが、じつはその遊歩道は、子供たちにとってはちょっとした肝試しだったのだ。というのも、その当時はまだまだ墓の移転整備が完全に終っていなかったようだ。役場裏周辺の木の根元には、まだ卒塔婆が沢山立て掛けられていたのだ。
夜の博物館講座が終われば、もう外は真っ暗だ。少年たちはわざと、博物館から役場の裏に抜ける遊歩道を選んで歩く。そこはまばらな街灯しかなく、森の中の歩道は薄暗い。そこをテクテクと歩いて役場の裏手にさしかかると、卒塔婆地帯がやって来る。いくつかの木の根元には卒塔婆が立て掛けてある。記憶違いでなければ、朽ちたとても古い墓石もいくつか放置されていたはずだ。
少年たちはあえて、そんな薄気味の悪い道を選んで、遠回りをして家に帰る。まだそれほど朽ちてはいない卒塔婆や、斜めになった墓石の存在から、どうやら以前はこの辺りが墓場だったんだろうと云う事は、薄々感じていた。怖いながらもワクワクしてわざとその道をあるくのだ。お化けや幽霊なんか怖くないんだと云う、ちょっとした勇気の見栄っ張り。
今はもちろん公園として綺麗に整備されているので、墓石どころか卒塔婆だって一つもない。今じゃその一帯が昔は墓場だったという痕跡もない。オレもYさんから墓の移転の話を聞くまでは、そんな昔の思い出をすっかり忘れていた。
そんな昔の墓場跡を、カーシャは嬉しげに走り回る。だが、、、、。犬は人間には見えない何かが見えるようだ。カーシャは時々、オレには見えない何かを見つけては、追いかけて行ってしまう。
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