32年前の春、4月4日 19歳 その日からオレの東京での一人暮らしが始まった
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一人暮らしの始まりは、風呂無し、流しに便所も共有のボロアパート
今日4月4日は、32年前オレが進学の為に上京した日なのだ。大学1年生の1年間住んでいたアパートは、築30年、風呂無し、流し共有、便所共有(都内なのにくみ取り)、玄関は一つで大きな靴箱がそびえていた。まさにトキワ荘の様なボロアパートから、オレの東京生活が始まった。その時のオレは19歳。その日から、それまで経験した事の無い一人暮らしが始まったわけだよ。
知床からの上京は汽車で丸一日かかる
前日の3日は、朝の6時台の斜里発の汽車で網走に向かい、網走からは特急(今の「オホーツク」では無く、「おおとり」だった気がする)に乗り換え、北海道の東から西に横断して、函館駅に到着したのは19時30分。汽車で道内を端から端まで移動するだけで丸一日かかる。これでも旅はまだ道中の半分。
そこから今度は青函連絡船に乗って、青森港には23時半に到着。そんでさらに24時発の寝台特急、たしか「ゆうづる」に揺られて、上野駅に到着するのは、日が明けた4日の朝6時半。そこから慣れない電車を乗り継いで、ようやっと東新小岩のアパートに着いたのは8時を過ぎた頃だった。
3畳間二つをL字型に繋げて6畳にした(きっと以前は3畳間で1人に貸していたのだろう)そのアパートには、前々日に送っておいたオレの家財道具の段ボール箱が5箱、部屋の奥に積まれていた。
そのなんだか頼りない段ボールを見て、これから東京で1人で生活するという事が実感された。なんていう事はなくて、なんだか全てが嘘みたいで、非現実的な気持ちになった1987年の4月4日午前8時。
本当にこれから1人で東京に暮らして行くのかオレ? というのが正直な感想。誰も食事を作ってはくれない。誰も掃除はしてくれない。誰も洗濯なんかしてくれない。買物から、料理から、全てオレがこれからこなさなければならないのだ。突然ハーレムに投げ込まれた王子様もきっとこんな気持ちなんだろう。一体全体、何処から手を付けた良いんだ?
まずは大学の街お茶の水散策
長旅で疲れてはいたけれども、ずーっと途方に暮れてはいられないので、まずは大学のあるお茶の水を散策しようと思い早速出かけた。古本屋街のイメージがある神田地域だけども、お茶の水周辺はその頃から音楽の街になっていて、楽器屋、レコード屋が、それこそ無数にあり、オレには夢のような街だった。その当時の斜里町は本屋が2軒、レコード屋は1軒。ところがこの町にはいったい何軒そんな商店があるのかも判らない。
早速今は無きお茶の水駅前のディスク・ユニオンお茶の水駅前店に入った。そのビルは間口の狭い、そして奥行きの長いペンシルビルで、5階建てのビル1棟がレコードで埋め尽くされていた。修学旅行で初めて行ったタワーレコードには興奮したが、このディスクユニオンは、狭いながらもロックの濃縮度、マニアック度がタワーレコードとは段違い。もう大興奮状態で店内を隈無く散策した。その様子はまるで初めての場所につれて行かれた犬のようだ。
結局その日購入したのはThe WhoのCD「Live at Leeds」1枚のみだった。手持ちの現金が月の予算の全て。無駄金を使ってしまえば、食べるものに事欠く生活なのだ。何故選びに選んだ結果が、そのアルバムだったのかは、もう覚えていない。
まずはオーディオセットを設置する
早速アパートにもどり、まずはステレオセットを構築する。早速Live at Leedsを聞きながら、本格的に我が基地の構築に取り掛かった。荷解きをしていると、あれが必要、これが必要、一人暮らしに必要なものがどんどん出てくる。
限られた予算で、優先順位を考えていたら日がすっかり暮れてしまった。北海道と違い東京は温かいと思っていたが、4月の東京の夜は予想以上に寒かった。土壁と柱のすき間からは、外の街灯の光が微かに漏れている。これじゃ寒いのも当たり前だ。室内と外の気温は限りなく等しい。
その時はまだ冷蔵庫もなく、ホテイのやきとりをオーブントースターで温めて、缶ビールで1人乾杯した。寒さで鼻水を垂らしながら。
ただ黙々と、今やらなきゃならない事をしただけの東京生活1日目。楽しくも、悲しくも、嬉しくも無い第1日だったな。
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